張秀娥さんは、1966年に生まれ、1985年合肥工業大學の學生であった時に中國共産黨に入黨。1994年にモトローラ(中國)電子有限公司に入社して働いている。次は彼女が自分で語ったことである。
モトローラに來てから、わたしの人生におけるいま1つの道のりを歩み始めることになった。この時、公司で黨支部がつくられ、わたしは黨支部の書記に選ばれた。「外資企業の中での黨支部書記はなにをするのか」とたずねる人がいる。しかし、わたしは心の中では逆にその重要さについて考えている。共産黨員として、どこであろうと、職務の高い低いを問わず、一般の人たちといっしょくたになることはできず、わたしは実際の仕事の中で、黨員の先進性を保ち、それを発揮し、末端で広範な黨員と従業員を導いて、會社の利益、黨の政策の実行、中國の「4つの現代化」の建設のために力に貢獻することにしている。
1996年、わたしは製品の品質検査部門の責任者に任命された。黨員と中國側のミドルの管理職として、わたしはひとりでに、いかなるときにおいても高い品質を保つ責任感をもち、ユーザーの利益を守るという目標を決めた。
2000年のある日、製品の最終テストを行っている時に異常を発見した。常規によればその他のわりに簡単なルートを通して是正することができるが、わたしは技師と技術専門家にじっくり研究させることを堅持し、ついに問題の所在をはっきりさせ、それによって隠れた危険を取り除き、製品の品質を保証し、ユーザーの利益を守った。
品質は企業にとって生命である。昨年はユーザーからのフィード?バックに基づいて、わたしはある製品のある部品に問題が出現する可能性があることを意識し、その後データのテストを通じてこの問題の現れる確率が千分のいくつだけであることが明らかになったが、わたしは直ちにそのことを技師に伝え、結果として問題のある材料の使用をストップすることにした。わたしは再びわたしたちの製品のブランドイメージとユーザーの利益を守った。
品質の問題については、最終検査の段階で足踏みしてはならない。仕事の中で、ある種のキーボードの品質の問題を解決するため、わたしと材料検査技師はシンガポールに行って下請け業者と共に話し合った。仕事を綿密にすすめ、具體的に実現させるため、わたしたちは下請け業者の作業現場に深く入って、問題を指摘するとともに彼らがどのように検証、解決すればよいかを指導し、最後に彼らが改善した後の製品の品質を抽出検査し、要求が達成されたことを確認した後、わたしたちはやっと胸をなでおろした。このような方法は、わたしたちの製品の品質を根本的に保証したばかりでなく、同時に材料の返品率を小さくしている。下請け業者のある職員は「あなたはみずからわたしたちの現場の従業員と觸れあった最初のユーザーであり、感心している」と感動をこめて語った。その年のクリスマスにこの人はわざわざ他の人に託してクリスマスプレゼントを屆けてくれ敬服の意を表明した。
ミドルの管理職として、わたしは會社全體の利益のために考えるべきである。既存の設備をよりよく利用し、必要でない資金の使用と浪費を避けるため、わたしたちはアメリカ、ドイツなどの工場のやり方を參考にし、関連部門の技術者と協力しあって、理論的計算、テスト、作業を行い、最後に案を確定し、以前のような最終段階の検査スタッフを生産ラインの後ろに分散して配置し、一人が1本の生産ラインずつに責任を負う仕事のやり方を、最後にいっしょに集中して、最終検査スタッフの専門作業區域を形成している。こうして、20%の人件費と32萬ドルの設備費を節約した。この成果はモトローラ傑出グループ――TFE(Team
For Excellence)操作作業グループ活動の一等賞を獲得した。
6年來、わたしは黨の活動を積極的に企畫し、それに參加し、黨員の思想教育を強化し、黨員の黨費の納入、新しい黨員の拡大、予備黨員が正式の黨員になることの制度化、システム化させることに努めた。數年來、わたしたちの黨支部は4人の新しい黨員を増やし、それぞれが正式の黨員になり、5人の積極分子の新しい黨員になるための手続きを取り扱っており、20數人の積極分子を考察してやがて黨員にすることを考えている。數年來、合わせて25人の黨員が開発區企業の黨組織の先進的な黨員に選ばれ、2人の黨員が開発區クラスの先進的な黨員に選ばれた。
黨組織はモトローラ(中國)電子有限公司というアメリカ全額出資外資企業の中でユニークな役割を果たしている。黨員たちは仕事?科學研究?生産第一線で積極的な役割を発揮している。個人通信事業部の127人の黨員の中で13人の黨員がすでに経理(ディレクター)の職務を擔當している。
「チャイナネット」2002年8月28日
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