平頂山虐殺事件から70周年にあたる16日午前、遼寧省撫順市の平頂山虐殺遺跡記念館で追悼式典が行われた。全國(guó)各地から1000人以上が出席、70年前の事件で舊日本軍に虐殺された3000人以上の同胞の霊を慰めた。
JR東労組、中國(guó)人戦爭(zhēng)被害者の要求を支える會(huì)、全國(guó)中小企業(yè)団體連合會(huì)など民間10団體で構(gòu)成する日本人400人余りの追悼訪中団も出席、かつて撫順戦犯管理所で思想教育を受けた日本人戦犯4人も參列した。
平頂山虐殺事件は、遼寧省撫順市區(qū)南部の平頂山で発生。舊暦8月15日の中秋にあたる1932年9月15日夜、平頂山村を通過(guò)した中國(guó)の抗日武裝隊(duì)が、撫順を占領(lǐng)していた舊日本軍を襲撃。舊日本軍は平頂山村民が「匪賊に內(nèi)通した」と濡れ衣を著せ、翌16日朝、報(bào)復(fù)行為に及び、同村の若者から老人まで3000人以上を村の西側(cè)の原野に連行、大虐殺した。舊日本軍は罪狀隠蔽のためガソリンで遺體を焼いて山に埋めた上、500世帯以上が住んでいた800軒余の家屋を焼き払い、同村は廃墟と化した。
「人民網(wǎng)日本語(yǔ)版」2002年9月16日
|