上海國際問題研究院信息所の陳鴻斌所長はこのほど「上海証券報」に、日本の経済と製造業をめぐる次のような論考を発表した。
民主黨が政権を執ったことは、日本の政治が二大政黨制に向けて踏み出した重要な一歩だといえる。だが政権発足から2カ月が経ったものの、日本経済を振興させるには力不足で、民主黨にも現狀打破の奧の手はない。民主黨が掲げたマニフェスト(政権公約))の多くは場當たり的な方策で、根本的な対策ではなく、せいぜい一時的な救済の役割を果たすだけで、根本的な問題を解決できるものではない。
表面的にみれば、日本経済が現在直面する厳しい狀況は、思いがけず発生した世界的な金融危機がもたらしたものだ。危機が突然発生したため、國際市場の需要は目立って減少した。日本ではこれまで數十年にわたり取ってきた輸出主導型の発展戦略が今でも経済成長の主要な原動力となっており、輸出がひとたび落ち込めば、日本経済が急激に低迷するのは至極當然のことといえる。深いレベルでみると、このたびの日本の低迷は経済発展モデルの刷新を行えないという日本の苦境を反映したものだといえる。
1950年代の戦後の復興期を経て、日本は製造業の発展に力を注ぎ、より低いコストでより高い品質の製品を作り、世界の隅々にまで日本製品を売り込み、高度成長を推進し、こうして経済大國としての地位を固めた。このような輸出主導型の戦略は1960年代から70年代にかけて大手を振るい、日本に長期にわたる繁栄をもたらした。「貿易立國」戦略の実施後は、「科學技術立國」や「知的財産権立國」といったスローガンを打ち出したものの、実施に向けた取り組みは不十分で、従來の戦略に根本的に代わるものにはなり得ていない。
日本の輸出主導型戦略の大成功に後押しされて、70年代にはアジアの四小竜(シンガポール、香港、臺灣、韓國)も力強い発展を遂げ、世界を驚かせた。その後、東南アジア諸國連合(ASEAN)の諸國もそれぞれの強みを十分に発揮して、相継いで飛躍した。世界一の人口大國?中國は改革開放戦略の実施後、史上にも稀な非常に長期的な高度成長を遂げ、輸出額は2003年に日本を抜いた。中日両國の差は拡大する一方で、今や日本は世界2位の経済大國の地位を中國に譲ろうとしている。こうした一連の大きな変化から、日本が長年にわたり実施してきた製造業を中心とした輸出主導型の戦略を今後も継続するのは難しいことがはっきりとみてとれる。
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