その後2000年になって、渡辺氏は中國(guó)人記者に、當(dāng)時(shí)中國(guó)を支援すると決めた理由を次のように語(yǔ)った。
1963年に私は45歳で、通産省の官房長(zhǎng)官を務(wù)めていた。孫氏に會(huì)ったのはあの時(shí)が初めてで、直感的にこの人はよい人であり、一生つきあえる友人になるとわかった。あの當(dāng)時(shí)私にできたことは、大臣に背き、自分のもっている権限を使って、プラント輸出を許可することだった。大臣がこのことを知れば必ず止めにかかるとわかっていたので、私は腹をくくって、もしも発覚したら官を辭して野に下ろうと決めた。
渡辺氏が文書(shū)に調(diào)印してから3週間後、この件はついに大臣の知るところとなった。渡辺氏の回想によれば、大臣は家が火事にでもなったかのように大騒ぎしたが、國(guó)際的慣例に基づいて、文書(shū)はすでに発効していた。大臣は渡辺氏に辭表を出すことを許さず、渡辺氏のひとかたならぬ苦労に理解を示したという。
「人民網(wǎng)日本語(yǔ)版」2010年9月8日