米國債下落が米國の國益に変身:軍事予算に相當
中國銀行國際金融研究所の宗良副所長によると、米國は1970年初頭以降、3回におよぶ米ドル安誘導を行っている。1回目は1973~1978年である。米國は金本位制を放棄し、金と米ドルの兌換が停止され、変動為替相場制に移行し、米ドルの覇権時代が始まったのである。
2回目の米ドル安誘導は1985~1988年に集中している。米ドル安をもたらした要因は、1985年のプラザ合意(米國、英國、舊西獨、フランス、日本の5 カ國蔵相會議)である。當時、レーガン政権は莫大な財政赤字および貿易赤字を抱えており、米ドルを下落させることで米國経済を回復させる必要に迫られていた。宗良副所長によると、日本円の急騰およびバブル経済の崩壊は、米國経済の覇権的地位にとって脅威な存在であった日本を米國が上手く妨害した一例である、と述べている。