ノーベル賞の創設から100年以上経つが、世界最大の人口を擁する中國がノーベル賞とずっと縁がなかったのはなぜだろう。この問題を考える人は次第に増えている。多くの面が関わってくるが、たとえば人材育成面では、何がノーベル賞の受賞を阻んできたのだろう。(文:崔剛?清華大學外國語學部教授)
まず最初に受験教育が挙げられる。小學校から高校まで、さらには大學に入っても、さまざまな試験に絶えず追われる。楊振寧氏はかつて他のノーベル賞受賞者と共に中國で講演した際、「大學入試の最高得點者はいるか」との質問に、「中國の大學入試の基準に照らせば、われわれはみな落ちこぼれ。中高ではいつも上位10人より下でした」と笑った。筆者は大學院で、問題への最終解答ばかり教授に求める學生の多さに気づいたが、科學の最前線というものは、どれも絶えざる変化と発展の中にあり、模範解答を求めることなど不可能だ。ノーベル賞受賞者のスティーブン?チュー氏は「試験は決して重要ではないし、學生も1つの解決法に満足するだけではだめだ。重要なのは、科學的直感の習慣を育て、異なる方法で問題を扱うようにすることだ」と語る。
次に、學生の知識構成が偏っているという問題がある。中高での早すぎる文系?理系分け、高等教育での細かすぎる専攻分けによって、學生の知識構成は偏り、文系?理系の區分はまるで壁のように橫たわり、多くの學生が與えられた庭だけで活動をするようになる。文理統合と學際性が現代科學発展の基調であり、狹隘な知識と専門性は學生の創造性の発展に影を落とす。これでは職人型の研究者を生むだけで、巨匠の出現は期待し難しい。筆者は一貫して言語學の研究に従事してきたが、この分野でも卓越した業績を殘した學者には、學際的な知的バックグラウンドを持つ者が多い。現代言語學の父、ソシュールは若い頃に物理學と化學を學んだし、アメリカ構造主義言語學を代表するボアズは物理學の博士號を取得している。知識の幅の広さが、さらに広い視野を獲得させ、クリエイティブな思想の産出を容易にするのだ。
「人民網日本語版」2007年8月13日