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チャンスがなぜ浦東に
発信時間: 2008-04-30 | チャイナネット

80年代の深センの改革?開放が、中國の改革?開放の「破氷」ならば、90年代の浦東の開発?開放は、改革?開放事業の「難関の突破」と言えるだろう。1989年、世界では中國が引き続き改革?開放政策を実施していくのかという疑問の聲が上がったが、鄧小平氏は改革?開放の継続を繰り返して強調し、実際の施策として浦東の開発を打ち出した。

なぜ浦東を選んだのだろうか。それにはまず上海の中國における特殊な地位が考えられる。當時、全國の60%の工場や労働者が上海に集中し、計畫経済が最も発達した場所が上海だった。上海が計畫経済體制から市場経済體制へと順調に転換すれば、中國全體の経済モデルの転換も問題がないと考えられた。

浦東開発の政策を打ち出したことは、中國政府が改革?開放の道を続けて歩んでいくシグナルとされ、浦東の開発を通じて、社會主義市場経済のシステムや規則、環境作りなどを模索することを決意した。

もう一つは、浦東の開発により、上海にさらに大きな発展の空間を提供できることだった。當時、上海の都市機能はすでに衰えており、経営不振に陥る企業も多く、一時帰休の労働者も多かった。また一平方キロメートルの場所に、ひどい時には1000社前後の企業や民家が集中し、舊市街地の改造はとても難しかった。

そのため浦東に新たな都市部を建設することは、上海の発展空間不足を解消し、多くの優れた企業の進出により、上海の産業構造を向上させることにつながる。そして多くの就職のチャンスも訪れる???

 

「チャイナネット」2008年4月30日

 

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