舊石器時代から青銅器時代までの一連の重要遺跡を発見し、考古學の歴史區分法を確立し、その発展系譜を整理し、古代から現在までの中國文化の発展は一続きであり、途切れたことはないことを証明した。
舊石器時代というと、以前は、北京原人、山頂洞人、オルドス人くらいしか知られていなかった。しかし今では、元謀原人、藍田人、和県人、南京人など舊石器時代の早期?中期?後期の各時期をカバーする人類の化石が百種類近く、遺跡が數百カ所発見され、原人から現代人までの推移とその文化の発展の脈絡がほとんど描き出されている。これらの重要な発見によって、中國の舊石器時代の考古學研究と古人類學研究の世界的な地位が確立された。
新石器時代については、仰韶文化、龍山文化、紅山文化などしか知られていなかったが、今では、仙人洞文化、裴李崗文化、大汶口文化、河姆渡文化などが発見され、その遺跡は全國各省に広く分布している。舊石器時代から新石器時代への過渡期の文化、新石器時代の早期?中期?後期の各時期の文化、そして銅石併用時代の文化まで、すべて揃っている。これによって、中國の新石器時代の考古學文化區系類型體系が確立され、中國文明の起源や形成、発展に関する研究の堅実かつ科學的な基礎が打ち固められた。
青銅器時代については、河南省安陽の殷墟、山東省益都の蘇阜屯、陝西省寶鶏の闘鶏臺など數少ない重要な商(殷)周時代の遺跡しか知られていなかったが、今では、夏の遺跡である河南省偃師の二里頭、商の遺跡である河南省鄭州の鄭州商城、四川省広漢の三星堆、西周の遺跡である陝西省岐山の周公廟、河南省洛陽の北窯、北京市房山の琉璃河、山西省曲沃の曲村など數多くの遺跡が科學的に調査され、発掘されている。これによって、中國の青銅器時代の考古學文化區系類型體系がおおむね確立され、各文化の源流とその関係が明らかになり、中國上古史を改めて定義付ける條件が整った。
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「チャイナネット」 2009年8月31日