考古関係者は先ごろ、秦國初期の都城だった雍城の城內(nèi)で、2300年前の墓を初めて発見し、秦國の葬送文化と古代都城を研究するうえで貴重な資料となった。
陝西省考古研究院の田亜岐研究員は次のように述べている。この數(shù)十年、考古関係者は陝西省鳳翔県に位置する秦國の都城だった雍城遺跡で斷続的な発掘調(diào)査を行っており、都城外側(cè)の20カ所あまりの地區(qū)に秦代の墓群があることを発見し、見つかった墓の數(shù)はこれまでに2000基を超えた。しかし先ごろの調(diào)査では、都城內(nèi)では初めてとなる墓を発見した。この発見は秦國の儀禮制度、文化風(fēng)習(xí)、都城の機能區(qū)分などに関する研究にとって、重要な意味を持っている。
以前の発掘調(diào)査では、秦公、秦王の大型墓と秦人の墓地はすべて雍城城址南側(cè)の雍水の河畔にあった。しかし近年、考古関係者は城址の東側(cè)、西側(cè)、北側(cè)でも発掘調(diào)査を行い、當(dāng)時の墓地を続々と発見した。その結(jié)果、當(dāng)時の墓は城址南側(cè)にあるというこれまでの考え方は否定された。
今年に入ってから、遺跡を橫切る道路建設(shè)に合わせ、考古関係者は遺跡北部の建設(shè)區(qū)間で発掘調(diào)査を行い、戦國時代の秦人の小型墓を偶然発見した。この場所は西側(cè)城壁の內(nèi)側(cè)だったため、城內(nèi)に人を埋葬したかどうかの論爭が起こった。