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「中國(guó)の一日」 |
発信時(shí)間: 2009-09-18 | チャイナネット |
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林國(guó)本
「中國(guó)の一日」というテーマは考えようによっては非常に大きなテーマである。そういうことで、一つの分野に絞って書(shū)かないと焦點(diǎn)がぼやけてしまうのではないか、とも思えるのである。 私は第一線を退いたジャーナリストであるが、さいきん、第一線にいないおかげで豊穣そのものの自由時(shí)間という寶物を手に入れたのではないかと喜んでいる。クリエイティブ人間になるチャンスかもしれないからである。 ちなみに私の住んでいる住宅団地は、計(jì)畫(huà)経済時(shí)代の名殘りとでもいうか、ほとんどが同じ系列の人たちの住居のあるコミュニティで、60年代から一緒に仕事をしてきた人たちが、定年後の生活を楽しんでいる。この団地の一角に「老幹部活動(dòng)ステーション」という施設(shè)があって、そこでは中國(guó)將棋、囲碁、ブリッジ、ポーカー、ビリヤードを楽しむコーナーがあり、毎日、常連がわいわい、がやがやと楽しんでいる。なかには凝り性の人もいて、自腹を切って、ビリヤードの用具一式をそろえている人もいる。みんなが使っているものでは、球の回転や動(dòng)きを感覚的にコントロールしにくい、ということで自前のものを奮発してそろえたらしい。 知人が、「活動(dòng)ステーション」の方へ向かって歩いているので、「どちらへ?」と話しかけると、「これから萬(wàn)里の長(zhǎng)城をつくりにいくところです」とニコニコして答えるのだった。つまり、マージャンを楽しみにいく、ということなのである。 日本に何人かの知人のいる、元「中國(guó)畫(huà)報(bào)」のGさん(83歳)は、団地では盆栽いじりの「名人」といわれており、この人が団地の一角で栽培した花や青竹はプロの域に達(dá)するものといわれている。毎日、水をやったり、土盛りをしたりで超多忙である。 元編集次長(zhǎng)のDさんも、高齢で社交ダンスに打ち込み、プロに近い域に達(dá)している。 コーラス、老年ファッション隊(duì)もあり、豊富多彩である。 もともと、系列で経理の仕事をしていた人などは、民営の會(huì)社のお手伝いをしている。ほとんどの人たちが充実した晩年を送っているのである。 私も本來(lái)ならこのカテゴリーに屬する人間であるが、70年代の初期に多くの元同僚が脫サラして、メーテルリンクの言う「青い鳥(niǎo)」―新しい「生きがい」を求めて去ってしまったことで、ポッカリと大きな斷層が生じ、「徒弟奉公式」のたたきあげの修行を受けた人間は一人か二人しかいなくなった。政治、経済、時(shí)事のニュースに比較的明るい人間と思われているせいか、いろいろなところから聲がかかり、マージャンを楽しむどころの話ではなかった。さいわい、オランダの學(xué)者ホイジンガーさんが「ホモ?ルーデンス」という面白い理論を作り出してくれたので、メディアの一角でお手伝いすることもけっしてマージャンに劣るものではないと確信するようになり、私は変人、奇人かもしれないが、限界ぎりぎりまでメディアの一角で自分の可能性を試してみたい、と思っている。 中國(guó)は高齢化社會(huì)に入ったといわれている。額に汗して働いている人たちの「一日」もすばらしいが、第一線を退いた人たちの「一日」もかなりユニークで充実したものかもしれない。 私の住居の近くに國(guó)立図書(shū)館があるが、そこの日本の蔵書(shū)は東京の書(shū)店と同じくらい豊富だ。ときどき、私は一日じゅうそこでいろいろ勉強(qiáng)している。これは私にとっては自分の「中國(guó)に一日」といっても過(guò)言ではない。すこしでも、中國(guó)のメディアの事業(yè)に寄與することができればさいわいである、と思う昨今である。一風(fēng)変わった「中國(guó)の一日」になってしまったかもしれないが、高齢化への挑戦は人類にとって大きな課題となることはまちがいない。そういうことで、あえてこの層の人たちの生き様を取り上げてみた。これもれっきとした「中國(guó)の一日」である。中國(guó)の高齢化対策の一端を知ることができるからである。
「チャイナネット」 2009年9月18日 |
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