1991年1月3日、中日梅里雪山合同登山チームの17人の登山家(中國人6人、日本人11人)が第3キャンプ近くで全員遭難。
1994年10月2日から16日にかけて、第12回アジア競技大會が日本で開催され、42ヵ國?地域からの7300余人の選手が參加。中國選手は金メダル126、銀メダル83、銅メダル57を獲得した。大會後に、11人の中國選手の尿サンプルに陽性反応が現(xiàn)われ、中國のスポーツ事業(yè)のイメージにきわめて大きなダメージを與えた。この事件は「スポーツ陣の內(nèi)部管理を強化し、アンチ?ドーピングの力を強めなければならない」と、スポーツ界に注意を促すことになった。
1995年8月25日から29日にかけて、第三回中國?日本?韓國ジュニア?スポーツ交流大會が河北省の唐山市で開催され、全人代常務(wù)委員會の王光英副委員長、程思遠同副委員長、中華全國體育総會の李夢華主席、國家體育運動委員會の劉吉副主任が開幕式に出席した。
1997年10月13日から17日にかけて、1997年度上海國際スポーツ用品博覧會が上海で開催され、これは中國初の大型スポーツ博覧會の試みと見なされた。アメリカ、ドイツ、スイス、日本の100余社の企業(yè)が勢ぞろいし、世界一流のスポーツ設(shè)備、スポーツ用品と製造技術(shù)が展示されたものとなった。
「チャイナネット」 2007年3月