日本の茶道は日本文化の粋と言われる。唐の時代、中國の茶文化が日本に伝わり、宋代の陸羽が著した『茶経』、明代の朱権が著した『茶譜』などの書物も次々と日本に伝わった。こうした歴史を背景に、16世紀末に至ると、日本の禪師、千利休が文學、蕓術、哲學建築などの要素を融合させ、日本の茶道を確立した。裏千家は日本茶道の流派の中でも最も門弟の多い、大きな影響力を持つ流派である。
長年にわたり、裏千家は日中文化交流と両國の友好関係の発展に盡力してきた。1979年、小平氏は、初めて中國を訪れた裏千家の千玄室大宗匠との會見の席上で、「中國は茶の始祖である。あなたが中國で茶道を広めてくれることを願っている」と、語った。これ以降、千玄室大宗匠は度々中國を訪れるようになる。
家元として一門を統率してきた50年間、千玄室大宗匠は一貫して「一服の茶の中の平和」の理念を掲げ、茶文化を通して平和思想を広め、積極的に中日友好交流事業を推進してきた。2002年9月、中國政府は千玄室大宗匠に「文化交流貢獻賞」を授與し、2003年3月には中國蕓術研究院に蕓術顧問として正式に招聘している。
2002年6月、裏千家青年代表団が100回目の訪中を果たした。代表団を率いて訪中した千宗之氏は、中國國家主席の江沢民氏との會見で、「100回目の訪中にあたり、若者に日中両國の一衣帯水の意味を體験してもらうため、私たちは船での渡航を選びました」と語った。これに対し江沢民主席は、「茶道は両國人民の間の友好の架け橋になっている。裏千家は長年中日文化交流を促進し、両國人民の友情に積極的な貢獻を果たしている」と述べた。
1994年、裏千家と天津商學院が協力して、天津商學院裏千家茶道短期大學を設立し、再び中日文化協力と交流で成果を挙げた。この學院では日本人留學生が主に中國文化を學んでおり、中國語、絵畫、書道、陶磁器、唐詩鑑賞、京劇、日本茶道などの課程が設けられている。短大の設立など、幅広い文化交流を行ってきた千玄室大宗匠に、天津市は名譽市民の稱號を贈っている。2005年3月に行われた天津商學院裏千家茶道短期大學の卒業式には、校長を務める千玄室大宗匠がはるばる日本から出席した。
今日、有識者との交流の機會も多くなった。文化面での相互交流と協力は、中日両民族の文化発展を促進する上で益々重要性を増している。
寫真1:北京の広済寺で行われた世界平和祈願法要に參列し、仏前に獻茶した裏千家の千玄室大宗匠。
寫真2:1991年5月6日、天津市に造られた中國初の日本式茶室の落成式に出席した裏千家の千宗室大宗匠(前列左3)と中日友好協會の孫平化會長(前列左2)、中國商業部(省)の胡平部長(右2)、天津市の李長興副市長(右1)。
「チャイナネット」2007年3月