2005年4月から、私は日本の愛知大學(xué)で講義を始め、今年で3年目を迎えた。毎年の春學(xué)期の私の授業(yè)は「日中関係論」を主なテーマにしている。講義を聴きに來る學(xué)生は1年生から4年生までいて、現(xiàn)代中國(現(xiàn)中)學(xué)部、法律學(xué)部、経営學(xué)部の學(xué)生である。今年は現(xiàn)中と法律二學(xué)部の200余人の學(xué)生が受講した。また、2005、06年の秋學(xué)期には博士課程の學(xué)生にも「日中関係論」の講義をした。講義を始めた2005年の春學(xué)期は、中日の政治関係が悪化し、5月には、中國の一部の都市でデモがあった。今年の春學(xué)期は、溫家寶総理が日本を訪問し、中日関係には「氷が割れ、氷が融ける」改善の兆しが現(xiàn)れた。日本の學(xué)生は、現(xiàn)在の中國や、中國との関係をどう見ているのか、將來中日関係をどうすべきだと考えているのか――私が聞いた範(fàn)囲での、彼らの率直な意見をここに紹介しよう。
歴史問題をどう考えているか
近代日本の対外侵略のあの歴史について、日本の大學(xué)生たちは確かに知識がきわめて乏しい。これは、戦後の日本の教育と関係がある。2005年5月、當(dāng)時の日本の町村外務(wù)大臣も、日本の中學(xué)校の教科書が扱う歴史は明治維新までで、その後に進められた近代の侵略戦爭の歴史に対する教育はない、と認めている。
當(dāng)然、情報化の時代に、日本が「情報鎖國」をすることはできないし、後の世代に対して徹底的に歴史の真相を隠すこともできない。私が接觸した數(shù)百人の大學(xué)生たちは、日本が過去に誤ったことをし、近隣の國々に侵略戦爭や植民地支配をしたなどの基本的事実を知っている。このことは、國際的な往來の増加にともなって、日本の歴史教育の「孤立化」の道がますます狹くなり、行き止まりになっていることを示している。
國際交流の拡大につれ、多くの日本の大學(xué)生たちは、日本の歴史教育には重大な問題があることを次第に感じ始めている。
「もし將來、私が教師になったら、日本の視點からだけでなく、世界各國の視點から歴史の真実を見、それで子どもたちを教えたい」(現(xiàn)中學(xué)部三年女子學(xué)生)
「日中間の歴史問題は、『水』と『鑑』のようなものだ。歴史問題は日本人にとっては『水』のようなもので、水に流し、忘れてしまう。しかし、中國人にとっては『鑑』のようなもので、すべてが現(xiàn)実の上に投影される。しかし、日本が歴史の教訓(xùn)を汲み取らなければ、將來、また過去の過ちをくり返すかも知れない」(経営學(xué)部三年男子)
「正確な歴史観の基礎(chǔ)の上に、愛國心と隣人愛の精神を育てなければならない」(現(xiàn)中學(xué)部三年女子)
「日本は國民に対して、侵略戦爭の歴史を教育していない。中國が行なっている愛國主義教育は、『反日教育』ではないとはいえ、日本が過去の行なった悪事を洗いざらい、國民に対して教育している。この二種類の教育の明確な差が、一方で中國の若い人たちの強烈な『反日』感情を引き起こし、もう一方で中國人がなぜそんなに強い『反日』感情を持つのかを、日本の若い人たちが理解できないようにさせている。だから、歴史問題を解決せずに、真の日中友好はない」(経営學(xué)部三年男子)
歴史問題は中日関係にどう影響を及ぼすのか。
「歴史問題は、日中関係の一つの大きな障害であり、今後の日中関係はなお歴史問題の影響を受けるだろう」(現(xiàn)中學(xué)部一年男子)
「重要なことは、誰が靖國神社に行くかどうかではなく、日本があの戦爭を忘れることが許されるかどうかにある」(現(xiàn)中學(xué)部三年男子)
「日中両國は2000年以上にわたる悠久の友好往來の歴史がある。しかし、いったん関係が悪くなれば、『手を翻せば雲(yún)となり、手を覆せば雨となる』(杜甫『貧交行』)といわれるように、民族主義を煽って互いに攻撃しあう。私はこうした行為は非常に愚かなことだと思う」(法律學(xué)部四年男子)(馮昭奎=文)
?人民中國?より2007年9月24日