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日本公演後の梅蘭芳の手記―中日國民の厚い友情
発信時間: 2009-03-06 | チャイナネット

中國訪日京劇代表団はわが國民の友情をたずさえて、隣國日本を訪れ、公演を行った。私たちは我が國の古典演劇の蕓術を日本國民に紹介すると同時に、日本國民への挨拶と我が國民からの厚い友情を伝え、日本國民に心から歓迎された。そして、代表団は日本國民のわが國民に対する厚い友情をたずさえて帰國した。

7月16日東京で行われた歓送宴で、私はご臨席の各界の友人に次のように語った。「今日の中日両國國民の友情はうわべだけのものではなく、真摯で深く厚いものであり、両國國民の心は両國の地理的な位置と同じように、接近しているのである。私たちは帰國すれば、中國國民に対する日本國民の厚い友情をありのままに全中國の國民に伝える。」その際、700人を超える來場者、日本の方々、在日華僑や代表団のメンバーはこれを聞いてしばし鳴りやまぬ熱烈な拍手を送った。本當に両國國民の心は一つになったようである。

中國訪日京劇代表団は日本の朝日新聞社のご招待で、1956年5月16日に北京を発ち、日本訪問の途についた。代表団は東京、福岡、八幡、名古屋、京都、大阪などの都市で合わせて32回公演を行い、7萬人あまりの観客が公演を観賞した。最後の2回の公演は原爆被害者や戦爭で孤児となった人たちのためのチャリティー公演であったので、切符は割引となった。これによって、約1萬人の観客が京劇を観賞する機會に恵まれた。日本各地でテレビで京劇の公演を観賞した人は約1千萬人に達した。

代表団はまた日本の蕓術界など各方面の人びとと幅広く觸れ合った。私達は日本の各都市で、伝統蕓術界、新劇界、學界、婦人および學生の団體などと座談會や學術交流を行い、我が國の京劇の改革と新劇運動の近況を紹介した。この他、在日華僑とも觸れ合い、心のこもった交流を行った。

代表団は行く先々で、日本各界の人たちの歓迎を受けた。東京では、日本の文蕓界をはじめとする全國各階層の150人あまりの知名人が京劇団歓迎委員會を結成した。日本國衆議院の杉山元治郎副議長が日本國會議事堂で代表団のトップや著名な京劇俳優と會見し、お茶の會でもてなしてくれた。日本の國會で外國の演劇団を招待したのはこれが初めてである。ほかの都市にも京劇団歓迎組織があった。各地方でも、議長、府知事、県知事、市長らの自治體要人が中國京劇代表団の歓迎行事に出席した。各地の華僑たちも喜びを胸にして代表団を迎えてくれた。

各地の観客たちは代表団の公演に引き付けられ、チケットを手に入れるために數時間も列をつくって待ち、遠いところから見に來た者が大勢いた。劇場の中では、老若男女を問わず素晴らしい演技にうっとりし、どの幕にも大きな興味を示した。上手な演技には、観客席から喝采をおくり、拍手していた。こうした雰囲気の中で、私たちは外國での公演ということをすっかり忘れていた。劇場の外でも、人々は私たちの日本訪問に大きな関心を示し、好評してくれた。日本社會黨の鈴木茂三郎委員長はある宴會の席で、「日本の至るところで京劇を高く評価する賛辭を耳にした」。松竹の大谷竹次郎社長は、「私は60年間演劇の仕事をしてきたが、一つの劇団でこんなセンセーションを巻き起こしたのはまだ見たことがない。今回の京劇の日本公演によって、日本の舞臺には60年來空前の盛況が現れた」と語った。私はここでもう一つつけ加えたい。7月10日の夜、代表団は、東京での閉幕公演のあとに閉幕式を行うことを考えていた。時間が遅くなり、演劇を観賞した観客たちはさぞお疲れのことだし、閉幕式にはたして興味があるかと日本の友人は心配した。確かに観客たちは自分でお金を払って演劇を見に來た人たちで、観客のみなさんの會場を離れる時間を制限することにはできない。こうした心配には理由がある。けれども閉幕式が予定通りに行われた時、會場では少年児童を含む3000人近くの観客はみな靜かに座席に坐っていた。彼らの目は舞臺に集中し、日本側代表と京劇団代表のスピーチを靜聴し、熱烈な拍手を送った。日本の各社會団體と華僑代表が花束をささげ、記念品を贈呈した時、萬雷の拍手で迎えられた。最後に會場では全員が腕を振り上げて「中日友好萬歳」を3回聲高く叫んだ。

精緻で、美しい、表現力に富む京劇蕓術は日本の観客を陶酔させた。特に改革を経た京劇は高度の団體主義精神、よくまとまった完璧でリアルな蕓術像を表現したもので、日本の観客いずれもそれを高く評価した。京劇という蕓術はながい歴史に裏打ちされた蕓術であるが、中國の蕓術には青春の息吹が満ち溢れている、と日本の観客たちは評していた。

私たちの今回の公演が収めた成功は、日本の友人と愛國華僑からの配慮と支援に感謝しなければならない。朝日新聞社、各地の歓迎委員會及び各界の知名の方々はいずれも京劇代表団一行に至れり盡くせりのおもてなしと具體的な協力をしてくれた。市川猿之助丈は楽屋の擔當者と舞臺関係の各方面の責任者、千田是也氏は俳優座の舞臺監督、劇団前進座も俳優と監督を派遣して私達に協力してくれた。こうした兄弟のような友情には深く心を打たれた。日本各地の華僑たちも全力をあげて、用意周到に協力してくれた。

代表団は、公演のほか、日本の古典演劇蕓術や新劇、映畫、少女歌劇などさまざまな演蕓を観賞した。京劇俳優の多くはまた日本の蕓術家から能や狂言、歌舞伎、京舞、西崎舞、雅楽などの古典演劇舞踏に屬する10いくつもの素晴らしい出し物を學ぶ機會に恵まれた。私たち京劇俳優は日本の古典蕓能に大きな興味を持つようになった。日本での滯在期間に、各地を移動する合間や、ホテルで、さらには京劇公演の舞臺裏でしばしばけいこをしてみたこともある。帰國後もけいこをやめたことはなかった。代表団は日本から芝居用の衣裝をも持ち帰ったので、機會があればみんなに見せてあげたいとも思っている。

私はかつて1919年と1924年にそれぞれ日本公演を行ったことがある。私にとって今回の公演は曾遊の地を再訪することでもあった。舊友とも、新しい人たちとも會うことができ、その喜びは倍増した感じであった。古い友人の何人かはすでに故人となり、再會を果たせなかったことに心を痛めたが、新たな友だちの心のこもった接待に胸を打たれた。今回の日本公演で私はながい歴史のある舞踴をいくつも観賞することができた。

今や、中國訪日京劇代表団は公演任務をまっとうして帰國した。今回の文化交流を通じて、中日両國國民は更なる相互理解を深めることができたと思っている。まさに日本の友人が語っていたように、中日両國國民の心はしっかりと一つに結び付くことになったのである。両國國民の友好往來は両國國民のためになるものであり、世界平和の事業が必要としているものでもある。このような友好往來は、これからもきっと盛んになり、中日両國國民の真摯な友情は必ずさらに打ち固められ、発展していくにちがいない。

(原文は中國語、要旨を翻訳)

「チャイナネット」2009/03/04

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