「葉子」で臺灣を風靡した阿桑が乳がんのため6日朝8時半に臺北新店の慈済醫院でなくなった。わずか34歳の若さだった。臺灣メディアが伝えた。
阿桑の死は蕓能界にも大きなショックを與えている。かつて阿桑と同じ會社に所屬していた張智成は知らせを受けるとショックから平靜さを取り戻すことができず、ブログに次のように書き込んでいる。「桑(阿桑)、帰ってきてくれ。僕は本當に悲しい。」
阿桑の本名は黃嬿璘だが、歌聲が変化に富んでいるため、レコード會社は本名より呼びやすいあだ名をつける時に「桑(滄桑とは中國語で変化に富むことを指す)」の字から阿桑と名づけた。阿桑はおとなしく、自分のプライベートを他人に知らせたがらなかったという。
かつて蕓術工作隊(蕓術公演を行う政府部門の一つ)にいたこともある阿桑は一時期PUBを歌った経験もあり、豊富な経験からプロデューサーに発掘された後はコンサートの仕事はせず、アルバムの準備に専念していた。アルバムの発売を待つ間は生活のために、弁護士事務所の受付やデパートのアナウンス嬢などもつとめている。
阿桑はテレビドラマ「バラの戀」のエンディング曲がヒットしてアルバム2枚を発売している。去年10月に末期の乳がんと診斷された。
「人民網日本語版」2009年4月8日