【特集】 映畫?「南京!南京!」
スクリーンの中で、彼は戦爭の殺りくにもがいていた。スクリーンの外で、彼には常に不安が頭をよぎる。精一杯自分の命を守り、世論の風當たりにさいなまれないよう家族を守っている。映畫「南京!南京!」の登場人物?角川と現実の中泉英雄は、數十年の月日を隔てた2人の日本の若者であり、中國を訪れたときの心の內はいずれも似通っており、葛藤と苦しみにあえいでいる。
杭州で行われたプレ上映會の席上、中泉は客席の一部の観衆から罵聲(ばせい)を浴びた。舞臺の裏で、中泉は泣き叫んだ。通訳はスタッフの慰めの言葉を彼に伝え続けたが、彼には言葉もなかった。つらかった。瞳には憂うつな影が満ちていた。3年前、まさにこのような憂うつな眼差しで、「南京!南京!」の監督?陸川によって當時全く無名だった中泉が選ばれることとなった。映畫の中で、殘酷な戦爭に対して依然善良な心を保ち、よって巨大な葛藤を內に秘めることになる日本兵?角川を演じることとなった。
腳本は実は早い段階で一部の日本の有名俳優に送られていた。しかし先方はいずれもスケジュールあるいは別の理由により婉曲に斷ってきた。一人の「悪い」日本人のイメージを演じる必要があり、さらには政治と歴史に関わってくるため、一部の人はメンタル面で受け付けられなかったのかもしれない。中泉と面會した際、監督?陸川は中泉への説得を試みた。「南京大虐殺は日本にとってタブーであるテーマだ。でも私は人と人の間の心理を描きたい」。さらに重要だったのが、これは中泉にとってひとつの千載一遇のチャンスだったことだ。25歳で蕓能界に入った中泉は、5年間でわずか1回テレビドラマに出演しただけだった。一度は俳優への夢をあきらめ、「普通の人」に戻ることさえ頭をよぎった。それが今、主役になるチャンスが與えられている。これをあきらめることができようか?中泉は簡単な荷物を手に、中國へ渡った。
映畫の撮影期間、中泉は映畫中の角川、伊田といったこれらの日本兵の物語が真実か否かを気に掛けていた。現在、中泉はこの頃の歴史に対する認識を決して語ろうとしない。しかし撮影の際、彼はまさしく真剣に史料を研究していた。陸川は日本人俳優に対して語ったことがある。歴史に関するどんな疑問でも質問して欲しい。何でも意見を述べて欲しい。もし日本人として信じられないシーンがあれば、演じなくてもいい、と。
殺人競爭、強姦(ごうかん)、これらのシーンは最も中泉の疑念を引き起こした。中國側の副監督?趙一穗は語る。「彼は自身の先人達がこのように殘忍であったことを信じることができなかった。我々は歴史寫真を探し、いろいろな回想録を探し、日本人俳優に見せました」。監督は撮影前に毎日、すべての俳優と役柄について話し合い、腳本について話し合い、スタッフ全員を歴史環境の中に導いた。
撮影の合間、中泉はインターネットのテレビ電話で家族と時折會話した。もし「南京!南京!」が日本で上演されれば、中泉は家族にも自身の演技を見て貰いたいと願っている。しかし現在、彼は家族全員を表に出すことができない。家族に彼が日本兵を演じたことによるプレッシャーを感じて貰いたくないからだ。
「南京!南京!」上映が中國でますます熱を帯びる中、朝日新聞、NHK、さらには実に多くのメディアが、この獨特の視線で描かれた映畫について伝えている。比較的客観的なもの、反対の立場の報道、いずれも存在する。中泉の寫真は多くの日本の新聞に掲載されたが、多くが彼が映畫ポスターの前で瞳を閉じている1枚を使っていた。実はこれは彼がまばたきをした一瞬をとらえたものだったのだが、「自分は日本兵を演じたことを後悔している」とでも言いたげなようにも見える。
ネット上の掲示板ではさらに危険にさらされている。ある人はこう書き込みをした。「もう日本には帰ってこなくていい。家族も中國に連れて行け。帰國したら危ないぞ」と。これまでに多くの中國のテレビドラマで日本軍人を演じている俳優?矢野浩二は2007年、日本に帰國した際に毆られた。このことは中泉の身の安全まで心配にさせる。伊田を演じた木幡竜は既に妻と家族を中國に呼んでいる。中泉の家族はまだ日本に滯在している。
彼は慎重に監督に懇願している。宣伝の中で、彼自身の知名度がいかに上がろうと、家族については觸れないでほしいと。一部の拒否不可能なインタビューについては、スタッフが代わりに書面回答している。彼は歴史の見方や、「贖罪(しょくざい)心理」に関するどんな問題についても回答を拒絶、「自分は一人の俳優であり、戦爭は愚かだと思います」とだけコメントする。
彼を哀れむスタッフは、中泉は俳優の中でも実に異色の存在だと語る。既に30歳を超えているというのに、実に無邪気で、心の平靜を求めるのが好きだという。現在、中泉には多くの中國の映畫ファンがいる。彼らはネット上で中泉のために中國語掲示板を立ち上げ、彼のために詩を書いた。「深く深く心に刻む。この大海を渡ってきた縁を」。
もし中泉に冗談で、今や彼を追う女性ファンが急増していることを話せば、中泉ははずかしがるだろう。瀋陽で、一人の映畫ファンが彼に壽司を差し入れた。中泉は大いに感動し、スタッフにこのファンを見つけてもらい、その後自らすすんで記念撮影をした。彼は実に細かく中國のファンが彼に送ったプレゼントを覚えている。「広州ではアジア大會のマスコット、蕪湖では硯、成都では平和の鳩をいただいたんです」。
「人民網日本語版」2009年5月13日