1931年9月18日、日本軍は「9.18事件(中國東北部に対する侵略の発端)」を起こした後、軍醫の石井四郎は細菌戦を提唱し、細菌戦部隊の創建を受命した。1932年、石井四郎は日本國內の実験基地を中國の東北地區に移し、ハルビン以南の二背蔭河鎮に細菌実験工場を設置した。1935年には平房鎮にそれを移し、731部隊と改稱した。その後の12年間に731部隊はペスト、コレラ、チフス、下痢、たんそ、結核などの病菌を研究製造し、5000人以上の一般の人たちや捕虜に対して人體の解剖や各種生物菌の培養を含めた大量の悪虐非道の実験をおこなった。
日本軍は相次いで中國63の都市に細菌製造工場を設置し、1945年までの12年間に中國20余の省(區)で少なくとも36回以上細菌武器を使用した。大まかな統計によるだけでも、27萬人の一般の人たちが細菌戦で死亡し、日本軍が撒布した細菌の蔓延によって死亡者人數は數え切れないものである。
「チャイナネット」2005/05/27