続いて、中日の詩吟愛好者が代わる代わる舞臺に立ち、日本の愛好者らは和服を著て日本式の高吟を行い、中國の漢詩や自分で作った伝統的な漢詩を吟詠し、詩舞を披露した。中國側の愛好者は古典の詩詞を吟じたほか、上海の著名な演奏家である龔一氏が古琴で古い詩詞を弾き、笛の王と呼ばれた陸春齢氏が橫笛で古い詩詞を吹き、人々を古い時代の詩詞が持つ素晴らしい詩境へといざなった。
謝晉監督は詩吟や古い詩詞の演奏を興味深げに味わい、酔いしれたように時折、古い詩詞を思わず自ら口ずさみ、舞臺の上と共鳴し合っていた。「私は古い詩詞が大好き」と言う謝晉監督の文化に対する造詣の深さは、古い詩詞を含む古代文化に感化されたせいかもしれない。
このときの詩吟の會では舞臺に上がる人が比較的多く、プログラムも多かったため、空が暗くなってもまだ終わらず、疲れて會場を後にする年配者もいたため、ある指導者が謝晉監督に対し、先に帰っても構わないと言ったが、謝晉監督は首を振り、最後までがんばり、彼と一緒に座っていた日本詩吟団の団長や會場のスタッフたちをみな感動させた。詩吟の會が終わり、スタッフの一部が一緒に記念撮影をしたいと言い出したときも、疲れているはずの謝晉監督は笑みを浮かべて彼らの願いを受け入れ一人一人と記念寫真を撮った。その1枚1枚の寫真は忘れられぬ永遠の記念となり、今でも監督への盡きせぬ追憶の1コマとなっている。
やがて、私は胡暁秋氏を通じて謝晉監督に対し、上海中日詩吟の會への題辭の揮毫をお願いした。謝晉監督は快諾し、「浦江岸辺吟聲高、一衣帯水情更長」(黃浦江の岸辺に詩吟の聲が高く響けば、一衣帯水の隣國の心はいっそう長く続く)と揮毫してくださった。飾り気のないこの2つの語句は、私たちが開催している中日詩吟の會に対する謝晉監督の肯定であり勵ましであるとともに、中日の世代にわたる友好に対する彼の願いであり期待でもあった。
謝晉監督が黃泉の國へと旅立たれたのは殘念で悲しいことだが、彼の親しみやすい風貌と笑顔は永遠に私たちと數多くの映畫ファンの心に殘り、彼が監督した1つ1つの作品は映畫蕓術の寶として後世まで伝わっていくことだろう。
「北京週報日本語版」より2008年10月30日