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70年間中國で罪を償う舊日本軍の脫走兵 |
発信時間: 2009-06-24 | チャイナネット |
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70年前、舊日本軍の一人として中國侵略戦爭に參加し、6カ月後に?家を焼き払い人を殺し、金品を略奪する軍隊の振る舞いが耐えられなかった?ことから軍から脫走した山崎宏さんは、故郷に帰ることもできず中國を何十年も転々とした。そして山東省の済南市で家庭を持ってからはずっとこの地で暮らしてきた。 この70年余り、全力で周りの人を助けた山崎さんは、?自分がしていることの全ては罪を償うため?と、日本に帰ることを拒んでいる。
山東省の済南市に定住
6月20日に済南市のある小さな診療所を訪ねた時、今年101歳になる山崎さんは、病気の男の子を診察していた。近所の人にとって山崎さんは、済南なまりがきつく黒い布ぐつをはいた有名な?山先生?であり、彼を見て日本人だいう人は多くない。それに72年前に軍馬の獣醫として舊日本軍にいたことを知る人はもっと少ない。 山崎さんは1908年11月に岡山県で生まれた。盧溝橋事件(七七事変)の発生から2カ月後、中國の上海や天津などへ従軍。6カ月後には中國人の生活を破壊する軍人たちの振る舞いに耐えられなくなり、ある夜、軍隊から逃げ出した。 逃亡兵となった山崎さんは、日本に帰るために天津から東に向かい、それから數年後、物乞いをしながら山東省の済南市に。この地に留まることを決めた山崎さんは、ある人の世話で娘を連れて河北省唐山市から逃げてきた女性と結婚した。
どうしても中國に戻りたい 「そういうことです」と、耳が不自由になった山崎さんは微笑みながら言う。済南市の郊外に診療所を開いたのは戦爭が終わったばかりの60年以上前。山崎さんの中國も上達し、実際の行動で中國のために奉仕してきた。 山崎さんの診療所は1950年代の社會主義的改造で?連合診療所?になり、山崎さんも地元の醫者になった。日本國籍を持ち続ける山崎さんが數十年も奉仕してきたのは全て中國人である。 |
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