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上海の空で響く「昴」
発信時間: 2010-05-27 | チャイナネット
  

文=陳言

陳言

コラムニスト、『中國新聞週刊』主筆。

1960年に生まれ、1982年に南京大學卒。中日経済関係についての記事、著書が多數。

「目を閉じて何も見えず」と、谷村新司が上海萬博開幕式のステージに立ち、感情を込めて歌いだしたときには、背景のスクリーンには、數え知れないほどの星が上海の空の星と溶け込んでいった。

テレビ中継を見ている市民は、國家主席胡錦濤が満面の笑みもその時に見ていた。非常に和やかで、開幕會館の一萬人以上の市民と一緒にその歌を楽しんでいる様子は、テレビから伝えてくる。アメリカ、アフリカなどの歌やダンスなども素晴らしく、中國國內の歌手たちの歌も人の心に流れていく。しかし、中國ではだれでも聞いたことがあり、また多くの人が歌える歌としては、やはりこの『昴』だった。真新しい歌よりもこの二十數年來、中國市民の心で響き、去って行ったことのない歌のほうが感動も深い。いつも見ている谷村の寫真より、ご本人は髪が白くなっていったが、これもまた「昴」が年月の洗練を受け、ずっと人々の心の底に流れていることを靜かに物語っていると思われる。

上海の空で「昴」が響くと同時に、もう一回日本に注目して、萬博を通して中國人は日本に関心を寄せている。また日本もこの関心に応えているのである。

中國では超人気の『昴』

「昴」という漢字は、中國でもっともよく使われている『現代漢語詞典』にはすでに登録されていない。昔の文獻では、二十八宿の一つとしては使われたが、現代の中國人は、それがわかる人はむしろ少ない。歌『昴』は、中國ではたいてい『星』と訳される。

谷村が1980年に『昴』を世に送り出してから、中國公演の際、たびたび同歌を披露された。まだ一度も中國に訪れたことのない谷村は、中國東北の広い平野で満天の星を仰いで見ることを想像して、歌詞とメロディーが浮かんできたと言われている。2009年に東北ではなく、黃河の源でご自分の想像した世界をほんとうに見えたと、後にテレビの対談では谷村が語ったことがある。このときには、すばるが輝く星空の下では、すでに日本だけでなく、中國でも多くの人は、『昴』という歌を愛で、広大な宇宙に夢を託し、谷村と同様に胸襟をあけて、世界に向かったに違いない。

これほど中國でカバーされ、歌詞の翻訳バージョンがたくさん出ている日本の歌はまだあるだろうか。かつて『星』と訳されて、カバーした歌手の中には、関正傑、テレサテン(鄧麗君)、程琳がいた。『號角』(ラッパ)とも訳され、カバーした歌手には、羅文がいた。さらに『我的心沒有回程』(私のこころには帰路はない)とも意訳され、姜育恒が歌ったこともある。歌詞の中身はそれほど違わないが、タイトルの変化から見て、萬人には萬人の『昴』のイメージがあり、數多くの有名歌手によって、『昴』は谷村のものから、日本を代表する歌になり、さらに中國へ広く流行る歌になっていった。

ついでに谷村の『日はまた昇る』は、鄧麗君が『晨光下的戀情』(朝の光の下での戀)としてカバーしたことがあり、また『いい日旅立ち』は、陳潔霊が『無言地等』(言葉がないままで待つ)として歌い、鄭少秋も『楊柳像我一般青緑』(わたしのようにあおあおとしているポプラと柳)にしてカバーしたこともある。

2010年4月30日に上海萬博の開幕式で谷村が自ら『昴』を熱唱し、どのぐらいの人が心のなかで共鳴を深く感じたか、日本では想像した以上の人數がいると思われる。

深い関心を引き付ける日本

毎日も數千人の來場者は日本パビリオンに訪れいている。ハイテク技術を見たい人は、バイオリンを弾くロボットに焦點を當てて、コンテンツが常に変化していく巨大なスクリーンも多くの來場者はびっくりし、楽しんだと思う。

6月から始まる「ジャパン?ディー」「ジャパン?ウェーク」などでは、より多くの人は日本館に注目していくだろう。最高級のもてなしを示してくれる和食、踴り子の舞いなども披露されるなかで、日本の三つのパビリオンからの情報は波を打って出てくるだろうとも思われる。

場外では、「緑色出行」、すなわちマイカーを控え、公共交通道具で出かけることを呼びかけた富士フィルム(中國)投資有限公司の徐瑞馥副総経理は、地下鉄で出かけることを自ら勵んでいる。誰でもできる行動ではあるが、車の使用を控えるだけで徐副総理などの日系企業の協力が注目の的となっている。

日本に深い関心を寄せているなか、資生堂は中國に初めて投入した乾燥やニキビなどに効く化粧品「DQ」を熱を入れて売っている。萬博で日本パビリオンを見物するだけでなく、街では日本ブランドの商品が買えて、普通の市民は、日本との距離はますます近くなる。

中國では日本への関心が高くなっている中、日本企業も中國での業務拡大を考えている。素材企業である三菱マテリアルは、中國での業務を一本化して、現地の本社機能を持つ統合會社を作り、6月から正式に営業を始める。「市民生活水準の向上、自動車などもいっそう普及されていく中で、三菱マテリアルおよび関連企業は中國での業務を本格的に展開したいと考えている。現地では速やかに経営判斷をする必要も出てきたので、常務級の役員は今度の新會社の設立によって上海で常住するようになる」と上海事務所の東島正樹所長は語る。

「我も行く」と谷村は熱唱するが、萬博を介して、中日は互いに相手をもっと知ろうと動き出している。『昴』という歌もまた新しく翻訳され、中國でますます響くようになるとも思われる。

 

「人民中國インターネット版」より 2010年5月27日