日本の神奈川県相模湖交流センターで25日、第二次世界大戦の際に相模湖ダム建設で殉職した中國と日本の労働者を弔う追悼式が営まれた。
追悼式は日本時間午後1時半、厳粛に始まり、近くの小學生3人がろうそくに火をともし、出席者全員が殉職した労働者に起立して黙禱をささげた。追悼會では小學生が「相模湖賛歌」を朗読、演奏を行ったほか、在日朝鮮學校の教員が朝鮮舞踴を舞い、殉職した労働者を慰霊、出席者全員が一人ずつ獻花した。追悼式終了後、一部は船に乗りダムを一周、解説員のダム建設の歴史に耳を傾けながら湖に花を散らし、殉職労働者を悼んだ。
追悼式は「相模湖建設殉職者連合追悼會実行委員會」が主催、日本の千葉景子法相、および在日中國人、朝鮮人、韓國人の各団體代表らが出席、中國駐日本大使館代表も追悼の言葉を述べた。
相模湖交流センターは「相模湖ダムの歴史」と題した展示も行い、中國人労働者の証言を元に、當時の工事現場の地獄のような生活ぶりが明らかにされた。中國人労働者が描いた非常に貴重な2枚の水彩畫のうち1枚は工事現場を描いており、労働環境を直に証言していた。もう1枚は中國大陸の華北平原の農耕風景を描いたもので、労働者の祖國への想いがにじみ出ていた。
相模湖は日本初の多用途人工湖。ダムは1940年から1947年にかけて建設され、現在では神奈川県民にとって欠かせない飲用水ダム、発電所、観光地となっている。相模湖ダム建設に、日本は當時労働者360萬人を動員、朝鮮、韓國、日本の労働者のほか、中國を侵略した舊日本軍が強制連行した中國人300人ほどもいた。劣悪きわまる労働條件に非人道的差別が加わり、中國人労働者28人を含む83人の労働者が犠牲となった。
日本の有識者と友好団體が殉職者を追悼すべく「相模湖建設殉職者連合追悼會実行委員會」を設立、1979年から毎年7月に追悼會を開催しており、今年で32回目となった。
「人民網日本語版」2010年7月26日