両國のここ數年間の不動産価格の変化をみてみると、その原因の一端がわかる。筆者の住む武漢市を例に取ると、2006年7月の中心部の不動産取引価格は平均1平方メートルあたり3667.93元、漢口地區の中心部は同4412.27元だったが、2010年6月には前者が6656.02元、後者が9704.02元に跳ね上がった。北京や上海などの一線都市と比較して、武漢の不動産価格は相対的に低く、上昇幅もまだ穏やかだが、4年もたたないうちに価格は倍増しており、ものすごい勢いだといえる。さらに少なくともここ數年の狀況をみると、2008年末に一時的にペースダウンした以外は、不動産価格は上昇の一途をたどっており、國が調整政策をうち出した今も勢いはとどまるところを知らない。中國人にとって、住宅購入は自分が住むだけでなく、資産を守るための一つの方法となっている。今家を買う方が、貯金して數年後に家を買うよりも出費が少ないかもしれず、より不確定な要因は、數年後には自身の所得の伸びが不動産価格の伸びに追いつけるかどうかわからないということだ。もしだめだったとしたら、今もてる力を総動員して家を買った方がいい、となる。
日本では不動産価格が1980年代末に過去最高を更新して以降、下がり続け、ここ十數年は一貫して低迷狀態が続いている。日本のサラリーマンの多くは1990年代にバブル経済崩壊でダメージを受けた。苦労して買った「夢のマイホーム」の価値がバブル崩壊が急激に下がり、多額のローンを背負う人が続出した。バブル時代は日本人に影を落とし、若者たちは押し黙った。ある日本のネット利用者は上記の調査に回答する中で「なんとか家を買っても、ローンが払えなくて住めないなんて、本末転倒だ」と述べている。日本の若者は不動産バルブに警戒の姿勢を崩していない。相対的に成熟した不動産市場では短期間に価格が急上昇するということはあり得ず、今家を買っても數年後に買っても価格はそれほど変わらない。インフレ要因を考慮すれば、數年後の方が安くなる可能性もある。バブル時代の教訓もまだ生々しい。こうしたわけで、蓄えも乏しい日本の若者たちは家を買う意欲をもたないのだ。
中國人が家を買うのに熱心なのは現実に迫られているからだといえる。もしも不動産がほかの商品と同じように値上がりしたり値下がりしたりすれば、これほど多くの人が家を買わないとみられる。現在、中國のほとんどの家庭は一人っ子で、子どもが結婚して家が必要であれば、それぞれの実家からサポートを得られる。こうして子どもたちは親のすねをかじることになる。すねかじりは中國にも日本にもあるが、かじりかたが異なる。ある報道によると、2009年11月末現在、日本の失業者數は331萬人、失業率は5.2%で、1980年代後半生まれの平均失業率は6%を超えていた。そこで日本には少なくない「パラサイト」が出現した。日本の若者は仕事をしていても収入が多くなければ、両親と同居できるし、結婚しても同居することもあり、両親は小遣いまで出してくれる。
このようにみてくると、中日両國の若者の住宅購入に対する考え方は異なるが、両親との関係が密であることは同じだ。西側諸國で子どもが18歳になれば完全に獨立する、というのとは違う。中國でも日本でも、子どもが困った時に、両親はなんのためらいもなく救いの手をさしのべる。中國の両親は子どもが家を買うのに資金援助し、日本の両親は子どものとの同居を歓迎し、時には小遣いをやる、という違いだけだ。
「人民網日本語版」2010年10月11日