これらの日本語の地図は中國國內では珍しく、日本軍の中國侵略の証拠となる。そのうち「支那事変2周年記念興亜現勢図」では、中國の各大都市侵略の具體的な時期も詳細に記述されている。この地図では漢口、武昌、漢陽のそれぞれに「10?25」、「10?26」、「10?27」とアラビア數字が記されており、武漢の3地區陥落の具體的な時期を表している。地図上にはまた赤線が引かれ、武漢の東部?北部の広い地域が日本軍の占領區となっていたことが表され、赤線の片側に沿って「第一戦區衛立煌」、「第二戦區閻錫山」、「第三戦區顧祝同」、「第五戦區李宗仁」、「第九戦區薛岳」、「第十戦區蔣鼎文」などの抗日軍隊が記されている。赤線の東側は日本占領區で、抗日の「共産軍」も記されている。これらから、武漢の會戦後、中日は対峙局面を形成していたことがわかる。また地図には各地の物産の資料も記され、武漢周辺の物産には「鉄、綿、米、豚、石灰」などと書かれている。
黃さんによると、今回日本に1カ月以上滯在し、大部分の時間を東京?神保町の古書店街で過ごして、古書店を巡り歩いてこの4枚の地図を手に入れたという。
「人民網日本語版」2010年10月26日