「源氏物語」を読み返してみると、この11世紀も前に書かれた日本の長編小説の中には、日本文化が持つ獨特の美學が染み渡っている。そして、そこには日本文化と中國文化が深い歴史的な繋がりを持つことをはっきり表している。
紫式部は白居易の詩が好きだったようで、源氏物語の歌には「長恨歌」や「琵琶行」の味わいが色濃く出ている。歌以外でも、「禮記」、「戦國策」、「史記」、「漢書」などの中國の古典の影響を深く受けている。
中國文化を取り入れて日本文化の中に調和させていくことが見て取れるのは「源氏物語」だけではない。漢字や儒學、律令制度など數を上げればきりが無い。3世紀末、儒教の経典である「論語」が日本へ伝わった。その後、儒家の経典である五経を教える五経博士が交代制で日本に派遣されるようになった。また大化の改新は、中國の律令制度を手本にしている。何度も中國を訪れた遣隨使や遣唐使だけでなく、大勢の僧侶や留學生が中國に學びにやってきた。奈良時代の政治家である吉備真備や阿倍仲麻呂は中國に渡った有名な人物である。日本は中國に學び、教育制度を確立し、それによって大きく栄えたのである。
悠久の文化交流の中で、中國と日本の文化人は強い友情で結ばれた。はるばる海を渡ってやってくる日本の文化人の困難にも挫けない強靭な學びの精神に、中國の文化人たちは深く感動し、感服したものだった。
明治維新以降、中日の勢力関係に一世一代の変化が起きた。中國が日本に影響を與えていたのが、今度は逆になったのだ。「日本変政考」は戊戌の変法が起こる重大なきっかけとなった。日本に留學した若者は、中國の政治、軍事、文學などの分野で活躍し、中國を牽引する力となった。秋瑾、魯迅、周恩來や蔣百里などの優秀な人物はみな、日本への留學経験を持つ。
隣國同士である中國と日本、歴史の中で起きた摩擦や衝突も少なくなかった。特に日本の侵略戦爭は、両國の関係に暗い影を落とした。しかし、中國と日本にはそれよりも長く深い文化交流の歴史があり、お互いに多くの優れた點を吸収した。國同士がこれほどまでに広く深く共鳴したのは、中國と日本だけかもしれない。
殘念なことに、日本の政治家たちは歴史を無視し、なんと中國を「悪の隣國」と罵ったのだ。「瓜を植えれば、瓜が採れる。豆を植えれば豆が採れる。」つまりは因果応報、隣國を踏みつけたものは、隣國に踏みつけられるのである。日本はこれを恥だと思うべきである。
中國と日本はもっとお互いの特別な文化の交流を重視するべきである。それが今後の両國の発展、そしてお互いを尊敬しあう関係を築くことの重要な基盤となるはずである。
(文=上海交通大學日本研究センター主任 王少普)
?中國網日本語版(チャイナネット)? 2011年1月28日