夏は息抜きをしようと思って、東京に遊びに行った。
インド人の日本に対する印象は、「最先端」で「発展」していて、かつ「エキゾチック」な國である。東京成田空港に著いた私は、目を見張った。上海の浦東國際空港に比べると、成田空港は古くて見劣りがする。塵一つなくとても清潔だが、設(shè)備はどれも時代遅れで、上海のような最先端のものは何一つない。
入國手続きをする際には、一時間も待たされた。なぜこんなにも時間がかかるのだろうか。外國人の指の指紋を取るために時間がかかっているのか、それとも日本人の生真面目で細かい性格のせいなのだろうか。あの狹いロビーで、列はのろのろと前に進んでいた。迎えに來ている友達のことを思うと、私はもうやきもきして、いても立ってもいられなかった。
もし上海なら、すぐに窓口を増やし、もっとスムーズに進むように職員が整備するはずだと私は思っていた。中國は「速さ」と「効率」に関しては、ずっとトップレベルを貫いてきたからだ。それこそ、上海式の「最先端」である。
市內(nèi)に出て、もっとも賑やかな銀座や洗練された表參道を歩いていると、なんだか懐かしいような、昔からずっと知っているような感覚にとらわれた。「息を呑むほどの美しさ」というような印象を受けることはなかった。よくよく考えると、もしかしたら上海で生活が長かったせいではないだろうかと思った。
一見すると、東京のネオンの鮮やかさも、高層ビルの高さも、すでに北京と上海には負けていた。10年、20年前、「賑やかさ」と「最先端」の象徴だった頃の東京は、今となってはもう見る影もない。中國の大都市はとっくに追いついていたのだ。
しかし、東京で生活してみるとすぐに気づいたことがある。ここは依然としてアジア「最先端」の都市だったのだ。東京の「最先端」はその見た目ではなく、中身から感じることができた。
例えば、丸の內(nèi)や赤坂の高級オフィスビル、その清潔さといったら塵一つ落ちていないのだ。ロビーのテーブルからトイレの隅っこに至るまで、正に文字通り「塵一つ」ないほどきれいなのである。上海はどうか。陸家嘴や南京路にあるような一流のオフィスビルでも、そこまでの清潔さはないだろう。
東京は地下鉄も電車もとても込んでいる。20年間、東京で生活している友達は「通勤ラッシュは自分で歩かなくても、後ろの人に押されて電車に乗ることができる。だけど、押しつぶされて聲も出ない」と言っている。
「派手な贅沢」という見た目だけの発展を過ぎた東京は、もう「見栄を張る」ためだけにお金を無駄にしたりはしない。それこそ東京の「最先端」である。一方、中國もインドも「贅を盡くした」消費欲がどんどん膨らんでいる。
伊勢丹、三越、高島屋にあるバーバリーやプラダ、シャネルの売り場は、どこも人気がなくひっそりとしている。きらびやかなライトもなければ、店員の客を値踏みする冷たい目線もない。たとえ、値段を聞くだけでも彼女たちは同じように丁寧に、禮儀正しく笑顔で対応してくれるし、買わなかったとしても嫌な顔一つしない。
友達にそのことを話すと、彼女は「『もったいない』という精神が日本人の心の中には深く根付いている。彼らは『使えればいい』、『必要のない限りは買わない』主義なのだ」と話してくれた。
この精神こそ我々が學(xué)ぶべき「最先端」なのではないだろうか。
(2010年10月12日付けの「瞭望東方週刊」より)
?中國網(wǎng)日本語版(チャイナネット)? 2011年1月30日