小林治平
私は1995年1月17日早朝起きた阪神淡路大地震を経験した。幸い、兵庫県川西市にあった住まいのマンションは建築後まもない物件でありほとんど被害はなかった。
電気と水道はまもなく復(fù)舊したが、都市ガスの供給が約半月間整わなかった。
その間、冬の寒い時(shí)期で風(fēng)呂に入れないのがつらかった。そんな時(shí)、勤務(wù)先の大阪で街角のなんでもないところに、誰が作ったのか大阪市內(nèi)の銭湯の場所を示す地図のコピーがまとめてかけてあり、自由に持って帰る事ができるようになっていた。それを持ち帰り、この情報(bào)を見て近くの銭湯に會(huì)社勤務(wù)の帰りの寒空の中、迷いながら行った事を思い出す。
今でもそのコピーを取ってあり、これを見ると見知らぬ人の親切に感謝する気持ちがよみがえる。困っている者には差し向けられるちょっとした親切がありがたく、手をとって感謝したい気持ちになる。
今回の大地震は16年前よりも規(guī)模の大きな地震で、津波の被害と相まってその程度は甚大であり、被災(zāi)者の當(dāng)事者の皆さんはほんとうにつらいものがあると思う。3月の東北地方はまだまだ寒い。年配の方には本當(dāng)につらい、命に関わる事になりかねない狀況だ。
そんな中、全國から、中國を含む全世界からの援助が屆けられようとしており、ラジオなどを聴くと多くの聲援と勵(lì)ましの聲が寄せられている。
道路?鉄道?海運(yùn)等の交通輸送網(wǎng)も復(fù)舊にむけて努力が続けられていると聞く。季節(jié)ももう少し経つとかなり暖かくなるはずだ。もう少しの辛抱、頑張って下さい。
「中國網(wǎng)日本語版(チャイナネット)」 2011年3月21日