基本的人権は民主主義の出発點(diǎn)であり出口である。なにものも個人の上に君臨することは許されない。つまり國家権力は個人の信託抜きには好き勝手はできないのである。
長かった封建社會、近代以降も敗戦まで國家主義が人々を支配し、人々は権力によって押し潰されていた。だから、人々は政治権力を敬遠(yuǎn)し、果ては政治的無関心の谷間に沈沒しやすい。
自民黨のいやらしいところは、その政治的無関心の気風(fēng)に便乗して、「お任せください、悪いようにはいたしません」というのである。自民黨の天下は人々の政治的無関心が培養(yǎng)しているのである。
個人主義とは、すべての個人が、お互いにお互いを尊重し、価値を認(rèn)め合う。しかも社會なくして人々は生活できないのだから、個人として応分の努力をして社會を形成?維持?発展させようとするのである。
當(dāng)然ながら、個人主義の人は政治的無関心(他者に対する無関心)の人ではない。自分の個性(genius)を社會のために発揮して、社會の一員としての実感を得たい人である。
このように考えれば、個人主義の人が求める民主主義は、どこかの國の內(nèi)部だけにとどまらない。A國の民主主義とB國の民主主義が共に天をいただかないような敵対関係になることは基本的人権の理論上ありえない。
民主主義とはまさに國家を超越するのであり、グローバルであり、それゆえわれわれは民主主義が全世界に浸透し進(jìn)化するように願っているのである。かくして民主主義の人々は平和主義の人々なのである。