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szmolu.com |09. 06. 2023 |
友情と祈り込めた版畫展
王朝陽=文?寫真
中日平和友好條約締結(jié)45周年を記念した「平和の心:時代を越えた友情町田忠昭コレクション版畫展」が4月2~16日、東京多元文化會館で行われた。
今年95歳になる町田忠昭さんと版畫との出會いは、1962年にさかのぼる。「初めて上野誠さんの作品を見たとき、時空を超えた力強い生命力に感銘を受けました」。その後、版畫の収集に勵み、劉峴氏や上野誠氏ら、中日両國の版畫家と深い友情を築いた。
中國でも日本でも、市民生活と木版畫は深く結(jié)び付いている。國家存亡の危機を見た魯迅は、木版畫の強い生命力が人々の理想と情熱と闘志を啓発できると考え、中國新興版畫運動を唱えた。魯迅の呼び掛けと育成によって、劉峴氏などの進歩的な「木版畫青年」が瞬く間に頭角を現(xiàn)し、民族的特徴を備えつつ、底辺の暮らしを送る人々の実生活を描寫した作品を數(shù)多く生み出した。
作品を鑑賞する來場者
第2次世界大戦後、日本でも版畫運動が始まった。中でも上野誠氏は戦時中に斷固反戦の立場を貫き、庶民の生活に焦點を當てた作品を制作したことで知られる。戦後は原爆犠牲者の連作を発表し、戦爭の反省と平和の追求を呼び掛けた。
上野氏の視點は日本の庶民にとどまらなかった。47年、版畫運動協(xié)會の理事長に就任した上野氏は、畫家を組織して戦爭を振り返り、中國人労働者が殘酷な迫害を受けた花岡事件をテーマに、44年から45年の侵略戦爭末期に秋田県の花岡鉱山で強制労働をさせられた中國人が、飢えや寒さに苦しみ、補導(dǎo)員に虐待されるさまを描いた連作を発表した。
両國共通の蕓術(shù)表現(xiàn)の方法として、木版畫は中日友好の懸け橋ともなっている。國交正常化前の61年6月25日、東京近郊で中國木版畫展が行われた際には多くの日本人が訪れ、作品から中華人民共和國成立後の新たな中國の姿を知った。一方、新中國では多くの市民が木版畫を通じ、第2次世界大戦後の日本社會が平和を愛し、獨立を愛しているというポジティブな側(cè)面を再認識し、日本人に対する親近感を深めた。
90年、劉峴氏は中國版畫代表団の団長として來日した。その年はちょうど上野氏の沒後10周年だったため、劉氏は彼を蕓術(shù)の道に導(dǎo)いた魯迅をモチーフとした作品『魯迅像』を町田さんに贈呈した。この作品が中日両國の版畫交流にとっていかに重要かを知る町田さんにとって、この作品は數(shù)あるコレクションの中でも最も大切なものとなった。
中日両國の木版畫蕓術(shù)に見られる戦爭への反省と、平和と正義の追求は、町田さんに大きな影響を與え、生涯にわたる一貫した価値観となった。若い頃から花岡事件の被害者の遺骨収集と返還に盡力したのはもちろん、追悼活動にも関わり続け、被害者の遺族による日本での慰霊や日本政府への賠償を求める訴訟などにも助力した。
今回の展示では、戦爭への反省と平和の追求をテーマに、町田さん自ら48點の作品を厳選した。「(選定には)私と中國の人々の友情と平和への祈りを込め、私の人生で最も大切な展示の一つとなりました。來場した方々には版畫の魅力を楽しむ一方で、日中両國による友好と平和に向けた努力をくみ取っていただければと思います」と、町田さんは思いを語った。
「人民中國インターネット版」