日本の救助隊(duì)
日本の救助隊(duì)は地震の後最初に中國入りした外國の救助隊(duì)だ。第一陣の救助隊(duì)スタッフは16日早朝3時(shí)に成都に到著、その後夜を徹して400キロ離れた青川県に向かった。日本の救助隊(duì)に同行した外交部新聞司參事官の李文亮氏によると、日本の救助隊(duì)は通知を受けてから集結(jié)し、出発するまでわずか6時(shí)間以下しかかからなかった。日本の救助隊(duì)団長の小泉崇氏も、今回の中國への出動(dòng)は國際救助チームの20年以上の活動(dòng)でも最も素早い部類に入ると述べている。
李文亮參事官は次のように語っている。「一組の親子の遺體を見つけた際に、遺體の狀態(tài)を最大限に保つために日本の救助隊(duì)員は機(jī)械の使用を斷念し、手で遺體上の瓦礫を一つづつ取り除けていった。若い母親が最後の瞬間に自分の赤ん坊を全力で守ろうと背をかがめていた姿勢を見て、多くの隊(duì)員が涙をこぼし、中國の母親はすごいと感嘆していた。」また被害者が女性である點(diǎn)を踏まえて、遺體を包むときに細(xì)かい花模様の収容袋を特に選んだという。
中國と外國の救助隊(duì)員は緊密に協(xié)力して力を合わせた。日本の救助隊(duì)は中國の救助隊(duì)員とともに探査機(jī)を使って生存者を捜索。隊(duì)員の島田一郎氏は今回の特殊な協(xié)力は忘れがたいものだと語っている。「解放軍の笑顔を見て…まるで私たちを兄弟のように見てくれているのを感じた。今回の救助活動(dòng)は非常に光栄で、また意義もあった。」
寫真は北川中學(xué)で救助活動(dòng)にあたる日本の救助隊(duì)。
「人民網(wǎng)日本語版」2008年6月3日
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