今年、中華人民共和國共和國は成立60周年を迎える。この60年間、各界の人々が國の建設(shè)に力を注いできた。その中から時代の模範(fàn)といっても過言ではない代表を10人選んだ。年代も立場も異なる彼らには共通點(diǎn)がみられる。彼らは各自の持ち場において突出した貢獻(xiàn)を果したほか、道徳的な模範(fàn)となり、それぞれの年代において社會の風(fēng)潮をリードしてきた。ここで、庶民の英雄に敬意を表するとともに、彼らの物語の中から時代の軌跡や60年間にわたる中國社會の主流の価値観をのぞいてみたいと思う。
黃継光、四川省中江県出身。1931年、貧しい農(nóng)家に生まれる。1951年3月、中國人民志願軍に入隊。
1952年10月、朝鮮戦爭の上甘嶺戦役で、所屬する大隊が米軍をはじめとする「連合國軍」および南朝鮮軍と4日間にわたる激戦を繰り広げる。19日夜に命を受け上甘嶺西側(cè)の597.9高地を落すが、部隊の進(jìn)軍は零號陣地に阻まれ、連続3回の爆破を行うがいずれも奏功しなかった。この肝心な時に通信員だった黃継光が爆破任務(wù)の遂行を名乗り出る。2人の戦士を連れ、知力を駆使し勇敢にも敵のいくつかの攻撃拠點(diǎn)を崩壊。戦友の一人は犠牲となり、もう一人は重傷を負(fù)った。黃継光自身も左腕に銃弾が貫通。しかし依然殘った特火點(diǎn)からの機(jī)関銃が部隊の進(jìn)攻を阻む。黃継光は重傷を負(fù)い、弾薬が盡きていたにもかかわらず、自らの身體で特火點(diǎn)の射撃孔を塞ぎ生命を投げ打った。その壯烈な姿に鼓舞された部隊は直ちに零號陣地を攻め、敵の2大隊を壊滅した。
戦後、部隊黨委員會から中國共産黨黨員として追認(rèn)され、中國人民志願軍指導(dǎo)機(jī)関も死後殊勲を列記し、「特級英雄」の稱號を授與した。朝鮮民主主義人民共和國最高人民會議常任委員會もまた「朝鮮民主主義人民共和國英雄」の稱號と金星メダル、一級國旗勲章を授與した。
朝鮮戦爭において黃継光の身をとして銃口を塞いだ勇敢な行動はその後も人々を鼓舞し教育してきた。彼の何ものをも恐れない気概は人々に尊敬され、その英雄的業(yè)績は代々語り継がれている。
?人民網(wǎng)日本語版?2009年9月11日
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