今年、中華人民共和國共和國は成立60周年を迎える。この60年間、各界の人々が國の建設(shè)に力を注いできた。その中から時代の模範(fàn)といっても過言ではない代表を10人選んだ。年代も立場も異なる彼らには共通點がみられる。彼らは各自の持ち場において突出した貢獻を果したほか、道徳的な模範(fàn)となり、それぞれの年代において社會の風(fēng)潮をリードしてきた。ここで、庶民の英雄に敬意を表するとともに、彼らの物語の中から時代の軌跡や60年間にわたる中國社會の主流の価値観をのぞいてみたいと思う。
頼寧、1973年、四川省石綿県に生まれる。彼は小學(xué)生の頃から毎年、品行?學(xué)問ともに優(yōu)れた優(yōu)秀な學(xué)生だった。小學(xué)校卒業(yè)後、全県トップの成績で重點中學(xué)である石綿県一中に入學(xué)。地質(zhì)學(xué)者になるという広大な夢を持ち、休みの日を利用して鉱石標(biāo)本の採集や無線通信の実験を行う。彼の學(xué)習(xí)意欲は盛んで、とことん追及する、前向きな探求精神を持ち合わせていた。
1988年3月13日、石綿県の海子山で突然山林火災(zāi)が発生。山火事を消し止め、山村を救い、テレビの地上衛(wèi)星受信センターの安全を守るべく、彼は自ら消火チームに加わり、身の危険も顧みず、燃え盛る炎の中で4、5時間消火に努め、貴重な命を落した。享年14歳。頼寧は生前、3度の果敢な消火活動を行っている。
頼寧の崇高な精神を稱えようと、中國共産主義青年団と國家教育委員會は1989年5月31日、「英雄少年」という栄光ある稱號が彼に贈り、全國各民族の少年先鋒隊隊員に「頼寧に學(xué)べ」というスローガンを発した。
しかしここ數(shù)年は、自己防衛(wèi)能力の低い小中學(xué)生に無意味な犠牲を強いる恐れがあるとして、多くの小中學(xué)校で英雄?頼寧の肖像畫が取り外されている。
?人民網(wǎng)日本語版?2009年9月15日
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