フィリピン籍船舶で船員として働いていたAtaiさんは、3年間の雇用契約期間が終わり、2週間前にフィリピンの実家に戻った。Ataiさんと雇用主との間では、契約更新の話が成立していたのだが、臺(tái)灣がフィリピン人労働者の就労申請(qǐng)を凍結(jié)したとこから、當(dāng)面、臺(tái)灣に戻って仕事ができなくなった。Ataiさんは、電話取材に対し、職を失うことに不安を抱きながら、「謝罪することがなぜこれほど難しいのか理解できない」と語った。臺(tái)灣「聯(lián)合報(bào)」の報(bào)道を引用して「中國(guó)新聞網(wǎng)」が伝えた。
27歳のAtaiさんは、臺(tái)灣屏東県東港で船員として雇われた。月給は約2500臺(tái)灣ドル(約8500円)、真面目な仕事ぶりと仕事に関する知識(shí)が豊富であることが評(píng)価され、雇用側(cè)は契約の更新を決定した。彼は2週間前にフィリピンの実家に戻った。しばらく休養(yǎng)した後、1カ月後に再び臺(tái)灣に戻り、就労申請(qǐng)を済ませて仕事を再開するつもりだった。しかし、フィリピン公船による臺(tái)灣漁船「広大興28號(hào)」銃撃事件が起こり、臺(tái)灣がフィリピン人の就労申請(qǐng)を凍結(jié)する事態(tài)となった。
Ataiさんは、この一件の是非についてはコメントを控えたが、フィリピンに非があり、臺(tái)灣が謝罪を求めているのならば、フィリピン政府は臺(tái)灣に謝罪するべきだと指摘。「就労申請(qǐng)凍結(jié)が解除されることを望む」と語った。
25歳のフィリピン人看護(hù)師Annaさんは「臺(tái)灣で漁船乗組員として働いていた兄が先日、雇用期間が満了となって帰國(guó)した。臺(tái)灣當(dāng)局が就労申請(qǐng)凍結(jié)を発表したので、兄に連絡(luò)を取ったところ、臺(tái)灣に戻って働けないのではと大変心配していた」と話した。
「人民網(wǎng)日本語版」2013年5月16日