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韓國人51人、重慶に墓參り
発信時間: 2009-03-03 | チャイナネット

 

 韓國人51人が2日、重慶市江北區上橫街を訪れ、山に登り、皇陵を參拝した。彼らはこの10年あまりずっと、舊暦2月6日に遠路はるばる重慶を訪れ、この中國南西部都市の片隅をついのすみかとした自分達の先祖?明玉珍のお墓を參拝している。この日、中國人53人もお墓參りをした。これらの中國人は、四川、重慶、貴州からやって來た、明玉珍の中國人子孫だ。中韓両國の子孫達は同日、それぞれの風習にならって先祖を拝み、最高級の祭儀によってご先祖様に対する敬慕の気持ちを表した。両國の子孫らによると、今後は共同祭儀を行う可能性もあるという。

 質素な皇陵內の小さな壁面の真ん中に、明玉珍の肖像畫が掛かっており、その真下に祭祀用の菓子や果物が所狹しと並べられている。韓國人子孫は、韓國の伝統衣裝を身につけ、祭壇の前で敬虔に額をつけお辭儀をした。韓國明氏宗親(親族)會のスタッフによると、彼らの多くは明玉珍皇帝の25代後の子孫で、重慶で自分の先祖を突き止めたという。その後2001年以降、親族達は舊暦2月6日をお墓參りの日と決め、毎年重慶を訪れている。

 明氏の家系図によると、明氏の子孫は韓國に約4萬人、朝鮮に約2萬人おり、その他の國々にも少數が住んでいるという。韓國に住む子孫は明氏親族會を設立し、現地にも祭壇を建造し、年に2回祭儀を行っている。

 明玉珍は、元代末期の農民蜂起軍の有名な指導者で、湖広行省隨州(現在の湖北省隨州市)出身。もとの名を旻玉珍といい、のちに明教(マニ教)の信者となり「明」と改姓した。明玉珍は1361年7月、重慶で「隴蜀王」を名乗った。1363年、重慶で「皇帝」に即位、國號を「大夏」、年號を「天統」とし、重慶を首都に定め大夏政権を樹立した。1366年病死、子の明昇が後を継いだ。 1371年、大夏國は朱元璋によって滅ぼされた。明玉珍の遺體は江北城に埋葬され、墓地は「睿陵」と名付けられた。

 「人民網日本語版」2009年3月3日

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