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才旦卓瑪さん、農奴の子から歌手に
発信時間: 2009-08-24 | チャイナネット

才旦卓瑪(ツァイダンジュオマー)さんは、中國で最も有名なチベット族ソプラノ歌手で、中國人でその歌を聞いたことがない人はいないと言っていいほど知られており、褒賞や賞賛を受けている。実は、彼女の幼年時代の生活はそれほど平坦だったわけではなく、牛や羊を放牧し生活を営んでいた。

以下は、才旦卓瑪さんが記者の取材に答えた內容である。

1958年、上海音楽學院は少數民族の蕓術人材を養成するために、學生を募集しにチベットに來た。私は聲がよいということで異例の合格となった。そのお陰で、レベルの高い學校で音楽を勉強するチャンスに恵まれ、チベットで初めての歌唱家となった。

中國文學蕓術界聯合會(以下「文聯」と略稱)と初めて接觸したのは1960年のことで、私は當時まだ20代の學生だった。その時、文聯から家族のような暖かさを感じとり、蕓術に一生涯を捧げる決心を固めた。

1960年、私が雲南省で少數民族の音楽を學んでいたころ、學校から北京の會議に參加する通知を受け取った。當時の私は、どんな會議なのか、どんな人たちが參加するのか、文聯がどんな組織なのか、何も分からなかった。學校の先生からは蕓術界の有名人や貢獻した蕓術家が參加することだけを聞き、私は雲南省代表団の蕓術家たちと一緒に北京へ行った。長時間の旅に慣れず、體調が少し悪くなったが、會場に入り蕓術家と會うと興奮し、旅の疲れはすっかり吹っ飛んでしまった。

會議期間中、私は同じ上海音楽學院の周小燕先生と同じ部屋に泊まり、周先生は多くの音楽に関する知識を教えてくださり、私にとって大きな利益となった。その後、數人の映畫俳優と會うことができ、非常に興奮し、彼らと一緒に文聯の會議に參加したことをこの上なく光栄に思った。

會議では、チベットから來た先輩の蕓術家たちと會うこともでき、故郷のことを故郷の言葉で話し、生活の細かいことにも気を配ってもらえ、非常に嬉しかった。その前の1959年の新中國成立10周年を祝う公演で北京を訪れたことがあるからか、多くの方々がチベット族の歌手である私を覚えてくれ、知らない人からも「才旦さん、學校生活はいかがでしょう。上海の生活には慣れましたか」などと聲をかけてもらえた。農奴の娘である私が文聯の會議に參加できることはとても有意義なことだと皆が思っていた。彼らと交わした言葉は多くなかったが、私の不慣れや不安をなくしてくれた。私はここで家族のような暖かさを感じ、この大家族の一員になりたいと思った。

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