1970年代中期までは、女性の服裝は60年代の情況を保っていたが、徐々に軍服から中性化へと移り変わってきた。旗袍や洋服は封建思想や資産階級意識の現れとして批判され、ファッションの個性や流行の美しさはみな否定されてきた。女性の服裝は基本的に、春秋向けのシャツや軍服ばかりだった。華やかな美しさを持つ旗袍は輸出用のみで、政治的な必要性から、當時國內では國外からの注文はほとんど受け付けておらず、それ以外は愛好家がしまい込んだ所蔵品となった。
現代から見ると、流行にのることが社會的崇拝の一種の心理となり、人々は服裝の美の追求を諦め、自分の精神を抑圧した狀態にせざるを得なくなっていた。このため、この時期の女性のファッションは停滯狀態にあったと言える。単一のスタイル、重い色調などがファッションの特徴だ。
ファッションの流行は人間が生み出すものだ。歴史の変革にあたって、時代を表すファッションは特に大きな変化を見せてきた。1974年には尖った襟の服が大きく流行し、1975年には自家製のラッパパンツ、1978年にはナイロンの襟のついた綿のコートが流行った。長い間抑圧されてきた心はファッションの変化を渇望しており、突如として様々な「奇妙な服裝」が流行り、人々は驚くと共に、望外の喜びを持って迎えた。思想が開放された女性は暗い灰色のコートを脫ぎ捨て、色鮮やかな編みこみセーターをまとい、美しさを競った。同時に行動でファッションの変革を呼びかけ、ファッションの春の訪れを告げた。
「人民網日本語版」2009年9月4日
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