「中國宇宙開発の父」と呼ばれた銭學森氏の追悼會が6日午前、北京八寶山で開催される。息子の銭永剛氏はこのほど、社會各界の人々に弔ってもらえるよう、追悼會は一般公開すると発表した。中國の科學の巨星?銭學森氏は10月31日午前8時頃、北京で逝去した。享年98歳。11月1日、故人の柩は北京航天大學大學院(航天大院)にある家に安置され、一般民衆からの弔問を受け入れている。その後數日間、弔問に訪れる人は後を絶たない。
銭學森氏は、中國宇宙飛行科學技術事業の第一人者かつ代表者で、「中國宇宙開発の父」、「ロケット王」と稱えられている。
國務院と中央軍事委員會は1956年、銭學森氏の提案を受け、ミサイル?航空科學研究の指導機関「航空工業委員會」を設立、銭學森氏は委員に任命された。銭學森氏は同年、命令を受け中國初のロケット?ミサイル研究所「國防部第五研究院」を設立、初代院長に就任した。
中國の「噴気とロケット技術の構築」計畫は、銭學森氏の主導のもとで順調に進められ、短距離弾道ミサイル、中距離弾道ミサイル、中國初の人工衛星などの開発が行われた。銭學森氏は、中距離弾道ミサイルに核弾頭を搭載する「両弾結合」実験を直接指揮、短距離弾道ミサイルに核弾頭を搭載する「両弾結合」実験に參與、中國初の航空宇宙事業発展計畫を制定、工程コントロール理論や統計學を打ち立てた。
「人民網日本語版」2009年11月6日 |