「五輪開催のために北京は出稼ぎ労働者を強(qiáng)制的に帰省させたのではないか」。こうした疑問(wèn)を抱えている記者たちが4日、メインスタジアム「鳥の巣」の付近で出稼ぎ労働者を探しに出かけ、難なく一人、もう一人と出稼ぎ労働者を見つけた。
出稼ぎの人たちが強(qiáng)制的に帰省させられたのではないかという話を記者から聞いた19歳の李さんは、不思議そうな表情を見せた。彼は1カ月前、河北省の農(nóng)村から北京に來(lái)て、富貴樓というレストランで働いている。レストランの窓からは、1キロしか離れていない「鳥の巣」がはっきりと目に入る。花火のリハーサルが行われた8月2日の夜、「今までオリンピックが自分にこんなに近いとは思いもしなかった」と、李さんは興奮を抑えきれずに外に出て、多くの人たちと一緒に花火を観賞した。そしてオリンピックは自分の生活に全く影響しておらず、あえて影響するというなら、仕事がますます忙しくなることだと話す。それは李さんが勤めているレストランが「鳥の巣」から近く、食事をする人がますます多くなるだろうからだ。リハーサルが行われた夜は、店の前に長(zhǎng)い行列ができたという。
李さんの同僚の馮さんは、南京から北京に出稼ぎに來(lái)てすでに3年になる。「ここで働いている従業(yè)員は、河北省、安徽省、湖北省、江蘇省など、様々な場(chǎng)所から來(lái)ている」と話す。
「鳥の巣」にさらに近い所で、芝生の手入れをしている彭さんに出會(huì)った。河南省洛陽(yáng)出身の54歳の彭さんは、北京に來(lái)たこの1年、ずっと緑化関連の仕事をしてきた。彭さんは、「『鳥の巣』近くの緑化は、全部私たち仲間が作った。作業(yè)の量によって勤務(wù)時(shí)間も違うが、月に1000元ぐらいの給料をもらえる。一緒に出稼ぎに來(lái)た同郷の中には、確かに北京の暑さに閉口して帰った者もいるが、それより多くの人が、オリンピックをこの目で見るために北京に留まっている。オリンピックは全ての中國(guó)人の夢(mèng)だから」と話す。
今回の取材で記者たちは、デパートやレストランの従業(yè)員、清掃員、ベビーシッター、飲料水の搬送員、警備員などの出稼ぎ労働者たちに出會(huì)った。
北京國(guó)際プレスセンターで8月1日に行われた記者會(huì)見では、北京発展改革委員會(huì)の盧映川副主任が、「労働者の流動(dòng)はすべて市場(chǎng)によって決められる。言い換えれば、仕事の選択や求職はみんな彼ら自身が決めることであり、出稼ぎ労働者を強(qiáng)制的に帰省させることはない」と述べた。確かにいま北京の隅々では、多くの出稼ぎ労働者たちが活躍している。
「チャイナネット」2008年8月5日
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