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szmolu.com |28. 12. 2017 |
アンコールワット(二)シェムリアップ、街頭で見かけたホウオウボク
北京から昆明を経由しシェムリアップに入ると、すでに5月1日未明だった。ホテルで數(shù)時間寢ると、晝前になっていた。ホテルのレンタカーは1日30ドルだ。安全性と利便性を考え、私たちは14人乗りのトヨタ車をレンタルした。
こうしてリナという名の運転手が、私と共に6日の時を送った。運転手によると、アンコールワットを訪問する際には早めに出発するべきだ。日中は日差しが強すぎ、ホテルに引き返さなければならない。午後3時になると再び出発し、夕日が沈む頃になると戻る。私たちも當(dāng)然ながら、例外ではなかった。
シェムリアップの古い市場はいつものように亂れていた。これは環(huán)境と物価のことだ。運転手によると、すぐ近くに新しくできた市場があるそうだが、私たちはガイドブックの通りに観光した。その後になって、観光スポットの商品は、この有名な古い市場よりも割安であることに気づいた。
優(yōu)雅なフランス風(fēng)の建築物は、老朽化した市場や建物の間に紛れ、さらに頭上には電線が延びる。舊植民地に殘された、寂れたような美しさは感じられなかった。
私がこのしばらく期待していた町にやや失望したころ、目の前に真っ赤なホウオウボクが広がった。私はホウオウボクを目にしたことがあったが、心に染み入るような鮮やかさはこれが初めてだった。カンボジアの赤い大地と肌、この貧困の最中にあっても色鮮やかに輝いていた。それは人の世で最も誇らしく咲く花だったのだ。
美は普遍的に存在する必要がなく、少ないほど良い場合が多い。平凡な風(fēng)景の中で、不意をつくように心の分厚い壁を貫き、心の奧底まで達するのだ。