中國(guó)の李進(jìn)軍駐朝鮮大使は23日午前、一部の外交官を率い車(chē)で十?dāng)?shù)時(shí)間移動(dòng)し、山を越え川を渡り咸鏡南道北西部の長(zhǎng)津湖の畔にある長(zhǎng)津邑中國(guó)人民志願(yuàn)軍烈士合葬墓地を訪れた。71年前にかの有名な長(zhǎng)津湖戦役で犠牲になった中國(guó)人民志願(yuàn)軍烈士を祀った。
長(zhǎng)津湖は朝鮮の北部で最大の湖だ。抗美援朝戦爭(zhēng)勃発後の1950年11月27日、中國(guó)人民志願(yuàn)軍第9兵団の12師団が長(zhǎng)津湖地區(qū)で、米第1海兵師団を中心とする「國(guó)連軍」東線戦闘部隊(duì)を破竹の勢(shì)いで包囲した。雙方は直ちに激しい戦闘を繰り広げた。
長(zhǎng)津湖戦役において、中國(guó)人民志願(yuàn)軍は武器裝備及び後方支援が相手より大きく劣るなか、鋼のような意志と何者も恐れない精神により、圧倒的な制空権と優(yōu)れた武器裝備を持つ米軍の精鋭師団を打ち破り逃げ惑わせた。これは抗美援朝戦爭(zhēng)における極めて重要な戦役だ。