時間 1945年4月23日?6月11日 場所 延安 代表総數 正式代表544人、代表候補208人 當時の黨員総數 121萬人 大會の主要な內容 大會では、毛沢東が『連合政府について』の政治報告を、劉少奇が『黨規約の改正についての報告』を、朱徳が『解放區戦場について』の軍事報告を、周恩來が『統一戦線について』の重要な演説を行った。大會は次のような黨の政治路線を制定した。――「おもいきって大衆を立ち上がらせ、人民の力を強大にし、わが黨の指導下で日本侵略者を打ち破って全國人民を解放し、新民主主義の國家を築き上げることである」。大會で採択された新しい黨規約は「中國共産黨がマルクス?レーニン主義の理論と中國革命の実踐を通して統一した思想――毛沢東思想を自らのすべての活動の指針とする」ことを確認し、全黨は今までに類例のないほど固く団結し、抗日戦爭の最後の勝利と人民民主主義革命の全國的勝利をかちとるための基礎を築いた。 大會は、中央委員44人、中央委員候補33人からなる新しい中央委員會を選出した。第7期1中総では、毛沢東、朱徳、劉少奇、周恩來、任弼時、陳雲、康生、高崗、彭真、董必武、林伯渠、張聞天、彭徳懐が中央政治局委員に、毛沢東、朱徳、劉少奇、周恩來、任弼時が中央書記処書記に、毛沢東が中央委員會主席に選出された。 「チャイナネット」 資料 |