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中國の中の日本文化

中國の古典文化が日本に影響を與えたことは疑いない。日本人はそれをほとんど自分の文化として受け入れている。ほとんどの日本人が『三國演義』を知っているし、『論語』を読み、唐詩を暗記している。

それに対して中國人は、といえば、おそらく『源氏物語』も知らなければ、まして芭蕉がいったいどんな人なのかも知らない。しかし今日に至るまで、一部の中國人は依然として、日本文化に対するある種の優越感を持ち続けており、日本の言葉や文化がすでに映畫やアニメなどの流行文化の製品とともに中國に浸透し、中國に影響を與えていることにまだ気付いていない。

「萌え~」は何語

北京の大型スーパーの日本食品の売り場で、日本の飲料を客に勧める中國のセールスレディ  ついこの前、ある女子高校生と話していたら、小さな女の子がとくにかわいいことを「特萌」というのだと言う。「特萌」って、いったい何? いろいろ考えたが分からなかった。後になって突然ひらめいた。あれは日本語の中の「萌え~」のことを言っているのだと分かった。

彼女は日本語を勉強したことがないので、「こんな日本語、どこで習ったの」と尋ねてみると、怪訝そうに「萌って日本語なの」という。もともと彼女のクラスメートたちの間ではずっと「萌」は使われてきたが、みんなそれは香港か臺灣の方言だと思っていて、日本語だとはまったく知らなかった。

日本では「萌え~」は成人男子が小さな女の子をかわいいと思い、ロリコン的な感情を抱くことを指す。しかし、中國の中高生たちの會話の中では、「萌」は形容詞に変わり、ただ女の子のかわいさを形容する言葉になった。

「我倒」もそうだ。若い人たちはみな、びっくりしてショックを受けたときにはこの言葉を使うのが好きだ。彼らより目上の人たちは、わけが分からない。「それほどでもないじゃないか。どうして『倒』(倒れる)なんて言うんだ」

しかし、日本の漫畫をちょっとめくると、何かあるとすぐに手足を空に向けてひっくり返ってしまうアニメの人物が登場する。それを見さえすれば、「我倒」の由來を容易に理解できる。

1980年代以來、日本は、アジアの流行文化の中で優勢な地位を占め、大量の日本語の語彙が香港、臺灣を経由して中國大陸に伝わってきた。あるいは直接、日本の映畫やアニメを通じて青少年の間で流行し、続いて主流の話し言葉の中に入ってきた。

時間が経つと多くの中國人、特に若い人たちは、みな、こうした言葉が外來語だと意識しなくなった。「人気」「暴走」「完敗」といった日本語は、つい數年前までは、小中學校の國語の先生方の頭を悩ませてきたが、今はすでに普通に認められた常用語となり、多くの新聞や雑誌によく見られるようになった。

言語は、一つの民族の性格と思考方法をつくり出す。中日両國とも漢字を使っているので、自然に親近感を持つ、と言う人がいる。いま、日本の言葉が大量に中國語の中に溶け込み、中國語の一部と見なされるようになった。これによって、中國の青少年が、日本人の性格や思考方法をもっとうまく受け入れることができるようになるに違いない。

「MUJI」のような生活

2006年7月、上海のもっともにぎやかな南京西路に、一軒の「MUJI」の専売店がオープンした。店はたった700余平米しかなかったが、上海の、ちょっとお金のある人たちが続々とやってきた。

「MUJI」は、日本のブランドメーカーの「無印良品」が海外で登録した商標である。南京西路の店は、「無印良品」が中國大陸部で開設した第一號の支店で、店內は、日本の「MUJI」の店とまったく同じ、商品のラベルもすべて日本語で書かれている。

唯一、日本の「MUJI」と違うのは、日本では低価格、高品質で名を馳せている「MUJI」が、中國では明らかに価格が安くはないというところだ。日本の物価はもともと中國より高いうえに、関稅がかけられているため、上海の「MUJI」の価格は、日本より高い。

「MUJI」でよく売れているニット類の100%、衣料品の70%は、中國でつくられている。とはいえ、中國の普通の消費者はなかなか手がでないのだ。しかし、時代の流行を追う若者たちの、「MUJI」が好きだという気持ちに影響がない。彼らは「MUJI」に行って文房具や食器などの割と安い商品を買う。あるいは何も買わないで、ただ寫真を撮るだけの若者もいる。それをネット上に貼り付けて、友だちと喜びを分かち合うのだ。

「MUJI」の簡潔で自然な、環境に優しいデザインがすごく気に入られている。「MUJI」ファンの若者にとっては、ここで売られているものは、単なる商品ではなく、一種の生活のスタイルであるという。中國の大都市の贅沢な風潮の中で、「MUJI」は新鮮な美感を人々にもたらしたのだ。

「MUJI」のほかにも、さまざまな日本料理店の精巧な食器、さりげない飾りつけ、あっさりとした味付け、色鮮やかな料理は、いつも日本式の美感と禪の境地を伝え、人々の美的感覚に影響を及ぼしている。 日本の友人と付き合うと  中日両國の経済、文化の交流がますます盛んになるにつれ、ますます多くの日本人が中國に來て學び、仕事をし、旅行をする。こうした日本人を通じて中國人は、日本の文化と伝統を感じ取ることができるようになった。

もし、誰か中國人に、日本の友人と付き合う中で最初に何を感じたかを尋ねてみると、多くの人の答えはおそらく「すこし疲れた」だろう。椅子に座っているときは、両足をきちんとそろえていなければならない。食事の前には必ず「いただきます」と言わなければならない。食べ終わったら「ご馳走さま」と言う。話すときは顔に笑みを浮かべ、言葉遣いは婉曲で、ゆとりを殘しておく。

もっとも難しいのは、日本の友人に「さようなら」を言うときである。別れるときはいつも、絶えずお辭儀をし、「またお會いしましょう」と言い続ける。數歩行っては再び振り返り、もう一度お辭儀をして別れを告げる。中國人はどうするか。まず、決心をし、身を翻して去り、再び振り返ることはしない。まるでこうしないと、永遠に、別れの儀式が終わらないかのようだ。

日本人の禮儀は、大和民族の謙虛な性格と「和」を追求する人付き合いの原則を集中的に體現している。付き合い出してしばらくは、こうした繁文縟禮(形式を重んじて煩雑な禮法)に、中國人はわずらわしく、堅苦しいと感じる。

しかし、それは同時に、中國人を映す鏡になっていて、中國人は自らの欠點を見ることができる。これまで「禮儀の邦」と自ら誇っていたが、今は、汗顔の至りである。

現在、國學ブームで、『論語』の読解が盛んだが、それはみな、中國人が伝統的な価値や伝統的な道徳を追求する努力の反映なのだ。こうしたプロセスの中で、中國人は常々、伝統をかなりうまく保っている日本人と自らを比較し、自らの足りないところを客観的に見ているのだ。

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