2004年10月、中國で日本遣唐使の井真成の墓誌が発見され、中日両國で話題となった。
紀元631年、日本は正式に唐朝に遣唐使を派遣する。その後の200年間に日本は遣唐使を19回派遣し、うち13回が成功している。遣唐使は規(guī)模が大きく、少ないときでも250人、最も多いときには600人に達したという。
中國が初めて日本に留學生を派遣したのは1896年、學生の數(shù)もわずか13名であったが、1930年代になると日本への留學生は10萬人に達していた。この數(shù)は、當時、歐米へ留學した學生の數(shù)をはるかに上回る。世界史上最大規(guī)模の海外留學運動である。中國近?現(xiàn)代史に名を殘す人物の中にも日本留學経験者は多い。その後、戦爭のために中日両國の留學往來は中斷するが、1972年の中日國交正常化以降、改革開放の流れに乗って中國に第2次日本留學ブームが巻き起こる。多くの中國人は日本に留學して先進科學技術と企業(yè)管理を學び、その知識を中國の建設と発展のために用いた。
青海大學學長の李建保氏は、第2次日本留學ブームの初期に當たる1982年1月、中國が日本に派遣した最初の留學生の一人として日本に赴いた。彼は1988年に東京大學で博士號を修得し、帰國後は清華大學で最年少の教授となった。その後、1994年に大學院博士課程の指導教官に任命され、更に新型セラミック材國家重點実験室主任、清華大學學術委員會秘書長、全國日本留學者活動ステーション主任などを歴任する。2002年5月に青海大學學長に就任した李建保氏は、日本への留學経験を持つオーバードクターの専門家のグループと良好な協(xié)力関係を築くことに盡力し、優(yōu)秀な教員を日本へ派遣して研修を受けさせる一方で、日本から専門家を青海大學に招聘した。李學長の努力によって、青海大學は日本政府から5000萬円の無償援助を獲得し、「西部科學技術日本語育成訓練センター」を建設する。李建保學長の指導の下、青海大學は飛躍的発展を遂げ、日々知名度を上げている。「日本留學での最大の収穫は、科學技術教育の重要性を認識できたことです」と、李建保學長は語る。
日本で學ぶ各國の留學生の中でも中國人學生の數(shù)は最も多く、2004年5月1日の段階で7萬7000人余りに達している。また、中國でも現(xiàn)在、約1萬4000人の日本人留學生が學んでいる。両國の留學生は、相互學習と相互理解を実踐する中日の友好の使者である。
?チャイナネット?2007年9月26日