當時の経験を座談會で語る南京防衛戦の元兵士。
南京大虐殺記念館を見學する人々。
南京大虐殺で同胞が犠牲となってから今日で76周年。思い出したくないが、忘れることもできない日だ。今日、あの災難を思い起こすのは、南京大虐殺の真相と日本軍國主義の狂暴で殘虐な本質を世界の人々に理解させ、平和を大切にし、戦爭に反対するためである。人民日報海外版が伝えた。
1937年12月13日、南京を攻略した日本軍は松井石根?華中方面軍司令官の指揮下、放火、殺人、強姦、略奪を公然と行った。世界的にもまれに見る大規模な虐殺、凄慘な殺戮だった
國內外を驚愕させた、この世のものとは思えぬ殘虐な「南京大虐殺」は、日本侵略者が中國で犯した最も殘忍非道なファシズム暴行であり、世界の文明史に痛ましい1ページを殘した。
古都南京の數多くの貴重な文化財も狂気じみた略奪に遭った。わずか1か月で日本軍は各種書籍?文獻88萬冊を奪い去った。これは當時日本最大の図書館であった上野の帝國図書館の蔵書數85萬冊を上回る。
極東國際軍事裁判は、南京大虐殺を中國侵略日本軍が「組織的、計畫的に、目的を持って行った悪行」と認定した。
南京での日本軍の殘虐行為に、當時南京にいた外國人のほぼ全員が憤りを覚えた。英紙マンチェスター?ガーディアン特派員のティンパーリは1938年執筆の『外國人の見た日本軍の暴行』で、「現代史上前代未聞の殘虐記録」をつくったと日本軍を痛烈に非難。同書によって日本軍による南京大虐殺の真相が初めて完全な形で世界の人々に伝えられた。
76年前、ドイツの友人ラーベは他の各國友人と共に國際安全區を設け、日本軍の虐殺の刀から中國難民25萬人の命を救った。著名な『ラーベの日記』には誰もがよく知る名前が出てくる。夏淑琴だ。夏さんの記憶によると、彼女はラーベの車でラーベの舊居(現在のラーベ記念館)へ連れて行かれた。下車するとラーベはコートで彼女をしっかりとくるんだ?!杆饯晤^や體にはシラミがいたが、彼は汚がらずに抱いてくれた」。
日本の鹿児島県日中友好教職員會の鶴田恒郎會長は1987年以降、すでに11回南京大虐殺記念館を訪問した?!?012年には日本の中高生23人による見學を初めて企畫した。生徒たちは歴史の真相を前に驚愕し、學校では學ぶことのできなかった歴史の知識を得た。われわれは南京大虐殺の犠牲者に沈痛な哀悼の意を表するとともに、両國の子々孫々の友好のために努力することを誓う」。
南京大虐殺記念館の朱成山館長は「南京大虐殺は中國も世界も大きく傷つけた。人々が南京大虐殺で犠牲になった同胞を思い起こすのは、共に歴史を省察することでもある。歴史の悲劇を繰り返させず、平和の陽光がいつまでも世界中を照らすようにすることは、全世界の人々に共通する心の聲だ」と述べた。(編集NA)
「人民網日本語版」2013年12月13日