新型コロナウイルス感染癥の流行後、米國の2つの政権は感染癥対策に失敗したプレッシャーから逃れるため、ウイルスを政治問題化して中國に「責任転嫁」しようとした。米國政府の無責任で間違った言動は、自國の感染病対策、國際協調、世界発展のビジョンに大きな脅威を與え、見掛け倒しとなって自身にも害が及んだ。歴史を振り返ると、米國には感染癥が流行するとそれを政治問題化する悪習が根強く殘っている。百年前の1918年にインフルエンザが流行した時、米國では世論が発生源に関する憶測ばかりに言及し、防疫に必要な知識の不足と誤った情報の広がりを招いたため、感染癥の悪化と亀裂の深化という収拾のつかない狀態へと陥った。
1918年のインフエンザ流行時に米國がもたらした発生源の汚名は、一國主義と人種主義に始まり反知性主義に終わった。同年9月から10月に世論が防疫に対する警鐘を鳴らした頃、感染癥はすでに全米に広がっていた。虛をつかれた科學界と動揺する政府によって感染癥は全米に広がり、人々に害を及ぼしながら多くの社會的矛盾を引き起こした。米國の世論はなぜこのようなことが起きたのかを検証する代わりに「被害者の米國」という一國主義的で歪んだ心理を持ち、「スケープゴート」を作り出そうと躍起になった。
この頃、米國を長年むしばんでいた人種主義が再燃し、「スペイン風邪」「ロシア風邪」「ドイツ風邪」「中國風邪」など発生源について大きな誤解を招く憶測がメディアを賑わせた。
醫學史研究によると、1918年春に米カンザス州フォートライリーの軍事施設で地域的にインフルエンザが流行していたことが確認されている。また、もっと早期に、あるいは世界の大多數の地域よりも早く米國で感染癥が流行し始めた斷片的な証拠もあり、1918年のインフルエンザ流行は恐らく米國で始まったと考えられている。このように、米國世論のおかしな「責任転嫁」は自らの顔に泥を塗っただけでなく、真実が明らかになると米國を國際的モラルの底に沈め、歴史の非難を浴びることになった。英國の著名メディア「The Observer」は「いわゆる『スペイン風邪』は『アメリカ風邪』と名前を変えるべきだ」とはっきりと指摘している。