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「赤い頭巾」が取り払われて |
発信時間: 2008-08-27 | チャイナネット |
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改革開放初期の10年間、服裝に関する行動の一つひとつが「一石、千層の浪を巻き起こす」効果を生んだようである。ピエール?カルダンが中國ファッションの「赤い頭巾」(農(nóng)村の結(jié)婚式で、新婦は新婚夫婦の部屋に入る前に赤い布で顔を覆った)を取り払ったと言う人もいる。
當(dāng)時の北京の町を歩くピエール?カルダン氏
79年の春、著名なフランスのファッションデザイナ?ピエール?カルダンは要請を受けて北京民族文化宮でファッションショーを開催。中仏友好を象徴するファッションショーは當(dāng)時、「服裝の學(xué)習(xí)會」と言われた。參加する人は審査を受け、座席も一律指定され、名前を登録しなければならなかった。カルダンは中國の當(dāng)時の國情を十分考慮していたが、音楽が流れるや、太ももを露にし、股と腰をくねくねとひねる外國人モデルはやはり、舞臺下にいる中國の観客にこれまでにない強烈な衝撃を與えた。舞臺上の服裝の多彩さと舞臺下の一面の「革命色」との対比は鮮明だった。
広東省などは中國で最も早く改革の春の風(fēng)を浴びることになった。82年の広州市のある家庭。ソファーに座る少女。
この「學(xué)習(xí)會」は貿(mào)易?アパレル界の幹部や技術(shù)者の參加のみに限定された。翌年11月、上海バンドで大陸初のモデルチームが開いたファッションショーは全國を沸き立たせた。人波押し寄せてはまた人波。83年末、それまで數(shù)十年続いた布の配給切符制が完全に廃止され、ファッション改革の呼び聲が全國に急速に響き渡っていった。
映畫『街に赤いスカートが流行』のポスター
當(dāng)時、最速の勢いで人気を集めたのが背広だ。84年、上海のある寫真館のショーウィンドーに「背広貸します」と書かれた看板が立った。背広を著て寫真を撮りたいとの市民の願望合わせたものである。この年、男性の間では背広が流行、若い女性の間では赤いスカートが人気を集めた。長春映畫制作所の映畫『街に赤いスカートが流行』がきっかけだ。この映畫はヒットし、若い女性の間では誕生日にかなえたい夢として赤いスカートがトップとなった。
「ラッパズボン」姿の男性
84年、広州で初めて「美は花の城にあり」をテーマにファッション展示會が開かれた
80年代全體と振り返ると、「ラッパズボン」も一時期、世を風(fēng)靡した。上が細く、下が幅広く、腰の部分がゆったりとした、ファスナーが男女問わず前についているズボンが初めて南方に出現(xiàn)した際、「男でもなく女でもなく、大勢を転倒させる悪物」と見なされた。當(dāng)時流行った歌にも「長髪のお兄さんが華やかな街を歩く。彼のラッパズボンはモダンで格別だ。それが災(zāi)いを引き起こした。街のおばさんに押しやられてしまった……」。そうであっても、「ラッパズボン」が中國を冒険するのを阻止するものは何もなかった。
89年末、ポーランドの記者が訪中し、首都北京を體験してこう書いている。「數(shù)年あるいは十?dāng)?shù)年前、北京は灰色の都市だった。『世界の農(nóng)村』とさえ呼んだ人もいた。人びとが著ているものは単調(diào)で一律で……。今では、最新流行のヨーロッパスタイルなおしゃれな娘たちが、北京の街に引きも切らず格別の美しさを與えている」
「チャイナネット」2008年8月27日 |
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