教科書に書かれている「明長(zhǎng)城は東は山海関を起點(diǎn)とし、西は嘉峪関に至る」という記述が今後、変わることになる。國(guó)家文物局古建築専門家グループリーダー、中國(guó)長(zhǎng)城學(xué)會(huì)副會(huì)長(zhǎng)の羅哲文氏は25日、長(zhǎng)年にわたる調(diào)査と専門家委員會(huì)の論証を経て、明長(zhǎng)城の東端の起點(diǎn)を遼寧省鴨緑江河畔の虎山と最終的に確定したと発表した。
中國(guó)長(zhǎng)城學(xué)會(huì)の呉國(guó)強(qiáng)秘書長(zhǎng)は「歴史的な原因から『明長(zhǎng)城は東は山海関を起點(diǎn)とし、西は嘉峪関に至る』という言い方が普遍的な説になり、遼東長(zhǎng)城を300年にわたって埋沒させてきた」と述べている。明長(zhǎng)城は東は遼寧省虎山、西は甘粛省の嘉峪関に至り、東から西へと10の省?自治區(qū)、市を橫切る総長(zhǎng)8851.8キロメートルと確定された。人類の有史以來初めて、明長(zhǎng)城の実際の長(zhǎng)さを確定したことになる。(編集YH)
「人民網(wǎng)日本語版」2009年9月27日