第二次世界大戦終戦から60年となる今年、世界各國でさまざまな記念行事が行われ、戦爭の原因に改めて思いを致し、戦爭を引き起こした有害な思想や文化が批判されている。
日本について言えば、8月はことに特別な意味を持つ。60年前の8月6日に広島、9日は長崎と、米國が投下した原爆の被害を受け、死者は20萬人を超えた。日本は今日に至るまで、世界で唯一の被爆國である。そして8月15日、日本は無條件降伏を宣言し、第二次世界大戦が事実上終わった。
しかしながら、第二次世界大戦後の冷戦構造など、さまざまな原因が重なり、日本は徹底した歴史の清算は行わなかった。このため、60年前に起きた戦爭の本質について、間違っていたり曖昧な見解がかなり多く存在する。その中の一つの傾向として、日本が戦爭の被害者だという立場を強調し,加害者としての立場を薄めるかもしくは否定する見方がある。
10年前、筆者はドイツで記者をしていた。當時ドイツでは、第二次世界大戦終結50年を記念するいろいろな活動が行われていて、その中に、米英によるドレスデン爆撃から50年、という活動があった。當時、一部のドイツの新聞には、「ドレスデン爆撃による壊滅的な被害を考えれば、ドイツはもはや戦爭犯罪者ではなく被害者である」という論調があった。しかし當時のヘルツォーク大統領は、連合國による報復爆撃をもって、ナチスドイツが「ほかの民族とドイツ民族自身に犯した犯罪」を帳消しにすることはできない、と認めた。ドレスデン教會の司教も、宗教記念式典の席上で、「50年が経ちました。私たちは今もなお、ことの根源に遡り、自ら振り返って反省し、最初から始めなければなりません」と述べた。當時のドイツ社會の主流からみて、第二次世界大戦中におけるドイツの加害と被害の立場は明確だった。これは日本が見習うに値する。
國際法や國際的な慣例において、戦爭を始めた側と防衛に回った側は本質的に區別される。民法において、侵入者と防衛者が本質的に區別されるのとまったく同じことで、この點について多くの紙幅を割く必要はないだろう。戦爭の加害者と被害者の基本的な立場も、この定義に基づいており、この前提が明確な狀況においてのみ、「過剰な防衛」について議論することができる。
第二次世界大戦終結から60年を記念する中で、それぞれの國がそれぞれの教訓を學ぶべきだ。加害者だった強國は、「力のみに頼るものは滅びる」という教訓を學び、今後は決して力を盲信せず、膨張主義を決して取らず、自律することを學び、世界のそのほかの國々と國民に対して平等に接するよう學ぶべきだ。
第二次世界大戦の終結から冷戦、冷戦からポスト冷戦期と、人類は60年の幾星霜を送った。この60年は紛爭が絶えず、今日の世界も決して平和ではないが、それでも人類は、第二次世界大戦のような過去に例を見ない災禍は何とか免れた。第二次世界大戦は、人類が肝に銘じるべき警鐘となった。第二次世界大戦に向き合うとき、歴史を振り返り、未來を描く多くの機會に恵まれる。このような意義を考えると、各國の國民が歴史に向き合う真剣さが、繰り返す過ちを避けられるかどうかを左右するのだ。
「人民網日本語版」2005年8月12日