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華人が日本で公務員に:多くの職務內容に守秘義務 |
発信時間: 2009-03-23 | チャイナネット |
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日本の中國語総合新聞「中文導報」の報道によると、突如発生した世界的な金融危機のあおりを受け、業績が急速に悪化した日本企業は、生き殘りをかけ相継いで支出削減を目的にした人員削減を実施している。こうした中、本來不安定な立場にある派遣社員の多くが會社から解雇通告を受けたのに対し、仕事や収入が安定している公務員は人気が高まり、この「金飯碗(身分や収入が安定し待遇が良い職業)」に就職希望者が殺到しているという。
まもなく4月には年に一度の國家公務員採用試験の受験受付が始まる。華人が日本で公務員になるには、どのような手順が必要となるのか。公務員の実際の生活はどのようなものだろうか。こうした疑問を解決すべく、このほど日本で公務員として働く數名の華人を取材した。
ミスマッチ就職で後悔
1990年代初め、當時18歳だった中國殘留孤児の子どもである許さん(仮名?男性)は、家族とともに中國北部から日本に移り住んだ。來日前、許さんの父親は中國のある研究所で教授を務めていた。許さんは來日後、靜岡県の私立大學に入學。卒業が近づき、周囲の日本人學生と同様に就職活動をスタートさせ、民間企業數社に応募したほか、地方公務員試験も受験した。許さんが日本語を學び始めたのは18歳の時だったので、大學卒業時、日本人學生と同様に日本語を母國語レベルで使うことはできなかった。また、1990年代半ばは地方公務員採用試験の競爭率が非常に高かったため、多くの日本人學生がいくつかの試験を受け相次いで不合格となっていた。だが、意外なことに日本語學習歴わずか數年の許さんが無事合格した。許さんは今でも當時を思い出すたびに不思議に思うが、実際自分は運が良かったと感じている。
大學卒業直前、許さんのもとに、ある日本企業から手厚い待遇と上海駐在という好條件のオファーが屆いた。許さんは2つの選択肢を比較?検討し、周囲の意見を聞いた結果、最終的に公務員になることを決めた。だが、この決定は許さんがこれまでの人生の中で、最も後悔する出來事の1つとなってしまった。
地方公務員として採用された許さんは、中部地方の辺鄙な地區にある役場の稅務課に配屬された。仕事は毎日數字と向き合う、退屈で細かく煩わしいものだった。許さんと奧さんは中國にいた頃知り合い、結婚後、奧さんは定住するために來日したが、日本での生活にかなり不満を持っている?!赋鰢刃律睽攻咯`トに希望で胸膨らませていましたが、こんな寂しい辺鄙なところに來てしまいました。電車も通っていませんし、外の世界とつながっているのは高速道路1本だけ」と奧さんは話す。また、平日は高速道路のパーキングエリア內の飲食店で働いているが、公務員の待遇について「収入は安定していますが安く、私が働いている店の店長の給料とほぼ同じです。主人は普段殘業も少なく、地方公務員の殘業時間は制限されているので、規定の時間を超えて働いても殘業代はもらえません。日本ではほとんどの會社員は8月に連休をとれますが、地方公務員は無理です」と説明する。
許さんには2人の娘がいるが、勤務地周辺には全く無名の私立大學が1校あるだけだ。奧さんは東京や大阪のような大都市に移り住み、子どもたちに良い教育を受けさせ、有名大學に進學させたいと強く希望している。だが、許さんのような公務員という職業は、家族の生活に制約をもたらすことがある。「公務員が大都市に異動する機會はほとんど期待できません。たとえ異動できたとしても、さらに遠い辺鄙なところしかありませんね」と奧さんは話す。
許さんは公務員の仕事について「多くの職務內容に守秘義務があり、家族にも話すことはできません。それに加え、常に非常に大きなプレッシャーを受けています。最近別の地區で働く公務員が、仕事上のプレッシャーに耐えかね自殺したというニュースに、役場の同僚達は皆驚きを隠せませんでした」と語る。また、許さんの50數歳になる日本人のいとこも公務員として働いていたが、最近突然退職した。周囲の者は皆、このいとこが數十年間働き続け、定年まで數年を殘してなぜ退職するのか不思議に思った?!妇唧w的な理由は聞いていませんが、仕事のプレッシャーと大きく関係しているのではないでしょうか」と許さんは話す。 |
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