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留學(xué)生?服部絢子さん:自然體の人々に魅せられて |
発信時(shí)間: 2009-09-07 | チャイナネット |
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私が中國への留學(xué)を決めたのは、ある中國人の友人の一言だった。北京オリンピックの話題になったとき、日本でもオリンピックはあったのかと聞いてきた。私が1964年に東京で開かれたというと、彼女は眼を伏せて「そう、中國より40年も早く…」と呟いた。その時(shí)私は、40年前の日本と同じであって全く違う國を見てみたいと思った。 留學(xué)を決めたからと言って、ほいほい行けるような身分でもなく、いくつかの奇跡や偶然があって、私はいま、中國にいる。日本からの留學(xué)生の中には、私のように、難波船から放り出されて流れ著いたような人間もかなりいる。 私は小學(xué)生のころから『三國志演義』などの中國古典に親しんできたが、中國そのものには微塵も興味がなかった。だが大學(xué)に入って、経済や外交、國家ブランドの形成などに興味を持つうちに、その中でも特に異彩を放つ中國に注目したのは必然であったとも言える。 そうして押し流されるように、中國にたどり著いてみれば、確かに圧倒されてしまった。東京都心のような高層ビル群がにょきにょきと立ち並ぶ中で、昔の日本人のように競って先を歩くことを知らない人々が、のほほんと暮らしているのである。奇妙というよりも、いっそ唖然とした。 2年ほど前に『日本を降りる若者たち』(下山裕治 講談社)という本が話題となった。なるほど中國は、確かに日本と比べると自由だ。自由すぎると言ってもよい。いつも粗野な大聲でおしゃべりしているプリペイドカード屋のおばさんは、私のカードが不良品であったと知ると、30分以上、カード會社に対して抗議し続けてくれる優(yōu)しさを見せてくれた。そんな優(yōu)しさをどこに隠し持っていたのだろう。 確かに、一度日本から「降りた」者にとっては、やみつきになる自然體がそこにはある。形式とかモラルとか人の眼とか、かつては最優(yōu)先であったものから解放されるのである。中國の若い人たちはほとんど日本の若者と変わらないが、満開の桃の花の下で碁を打つ老人や、朽ちかけた路地裏で無邪気に羽をついて遊ぶ子どもたちを見ていると、現(xiàn)代日本と変わらない風(fēng)景の中に、40年前の感覚の人々が生きているように感じられ、眩暈すら覚えてしまう。それがいずれ、あのやたら狹小な単彩の色にすべて染めあげられてしまうのでは……と、やり切れない気持ちにもなるのである。 40年という時(shí)間を隔てて、中國はかつての日本と同じスタートラインに立った。かつての日本を思えば、今以上の中國の発展は火を見るより明らかである。そして私たちは、40年のアドバンテージを得て、どこへ向かうのか。もはや日本が一から十までモデルにできるような國は存在せず、一から道筋を組み立てていかなければならない。 無力ではあるが、肌身でものごとを感じる私のような「難破船の遭難者」が、道筋のヒントを求めて、ここでカケラ集めをしている。中國は確かに、新しい発展の道筋を切り拓く可能性を持っている。まさにいま、持ち始めていると、少しの寂しさとともに感じるのである。
?人民中國インターネット版?より2009年9月7日 |
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