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まほらまの南京生活⑩文化交流の民間大使 |
発信時間: 2009-12-22 | チャイナネット |
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南京大學日本語學部専家?斎藤文男 今年9月、南京市の“文化交流民間大使”に任命された。招聘狀には南京市対外文化交流協會、南京市人民政府新聞弁公室の名稱と押印があり、「南京対外文化交流使者」の肩書がついている。任期は2010年度までの2年間。南京にいる海外企業の駐在員や外國人留學生、音楽家、醫師、教師、武術家、海外にいる南京人などさまざまな分野から700人が推薦され、審査の結果うち100人が認定され、私もその一人に選抜された。政治、経済、科學技術などの対外交流は國益や利害関係が優先され、雙方の事情によってはぎくしゃくする場合が多い。しかし、文化交流が根底にあれば、利害関係に左右されない強固なものになる、と私は以前から考え主張している。大學の同僚の先生方や學生も、民間大使になったことを歓迎してくれたのは嬉しかった。
寫真① 民間大使の招聘狀を持つ筆者(南京テレビ局の認証式で) 寫真② 日中協同事業で見事に復舊した南京城壁 寫真③ 玄武湖に沿って復舊し往時の美しさを再現した南京城壁 寫真④ 南京城壁修復10周年記念式典で挨拶する平山郁夫氏=2005年9月6日寫す 寫真⑤ 「中秋の名月を愛でる日中音楽の夕べ」で合奏する筆者(右)=左は二胡奏者の薫金明老師 ◇チャルメラの音とラーメンの味◇ 私は小學校3年生からそろばん學校に通っていた。6年生になると、小學生では合格者がいなかった1級の試験に挑戦するクラスになった。帰りの時刻はかなり遅くなっていた。自宅に帰る途中で、いつもラーメン屋の屋臺のおじさんに會った。チャルメラの音色に惹きつけられ、いたずらに吹いたりしているうちに親しくなって、ある時、おじさんはラーメンをごちそうしてくれた。 敗戦後8年たったが生活物資に乏しく、ろくな食べ物もなかった。ダシのきいた脂っこいスープと麺の味は、この上なく美味かった。おじさんは話し方から日本人ではなかったようだったが、そんなことはどうでもよかった。 以來、チャルメラの音色とラーメンの香りがすると、體の中からなにかエネルギーのようなものが沸いてくるように感じ、無性に嬉しくなった。高校時代、大學受験で夜中にチャルメラの音色がすると、何か郷愁を覚え食欲を誘ったが、毎回買えるほどの余裕はなかった。 子供のころ體にしみ込んだ音色と味は、生涯忘れることができないものだ。半世紀以上も経って、南京市から“文化交流民間大使”の稱號をもらった時、なぜか小學生の時に食べたラーメンの味と、哀愁を帯びたあのチャルメラの音色を思い出していた。32年前、初めての訪中で南京に立ち寄った時も、8年前に南京で長期滯在をスタートした時も、まったく違和感はなかった。小學校時代に住んだことのある懐かしい故郷に戻ったような感覚を味わっていた。 南京生活9年目になっても、「日々是愉快」に學生たちと恙無く過ごすことができるのも、あのおじさんのお陰だと思う。おじさんは50年、60年後を見通して、ラーメンをごちそうしてくれたのではない。毎日、夜遅く出會う小學生を単に可愛いと思って、何の見返りも期待せずラーメンを1杯おごってくれたのだろう。文化交流とはこのようなことなのではないか。あのおじさんこそが、立派な“文化交流大使”だと思えてくる。 |
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